1月2日、昨年は大雪で悩まされたのに今年は積雪が全くありません。おばあちゃんの話ではここ60年程の間で1度だけお正月に雪のない年があったとのことです。
池滝口の水芭蕉の芽
ロックガーデンのミミナシグサ
全く雪が無いので、植物の芽も楽のようです。生き生きしています。
例年であれば氷の下で眠っている池の鯉たちも、過ごしやすい冬を楽しんでいるようです。
最近読んだ本に、こんな暖冬に関わるお話が・・・お時間のある方はお読み下さい。
南部の凶作飢饉と言うと、元禄・宝暦・天明・天保年間の大飢饉が有名で、これを四大飢饉と呼んでいる。その中でも、一七八三年の天明三年は、大変な異常気象で、多くの餓死者を続出させたことで知られている。
この天明三年の大凶作の様子を、生々しく記録をした資料のひとつに、当時の八戸町の町人、恵比須屋善六の手紙がある。この手紙は、善六が取引先の、江戸田所町の本店井筒屋三郎兵衛にあてたものである。
さて、御承知の通り、当地八戸は、前代未聞の大凶作でした。
先づ天気のことから申し上げますと、去年の天明二年の冬から今年にかけて、考えられないような異状つづきでした。なにしろ去年の冬は、夏のように暖かで、氷の張るような寒い日はないほどでした。十一月にはちょっと氷が張りましたが、一年で一番寒いはずの寒に入ると、氷はことごとくとけ、まるで三月か四月頃のような陽気になりました。
正月から二月にかけては格別にあたたかく、寒さを感じさせない年の初めでした。それが四月に入りますと、北風ばかりが吹きつのり、まるで春と冬が入れかわったような寒さが訪れました。加えて連日の雨つづきで、四月中に雨のふらない日は七日ありましたが、それもうすら寒い霧のかかった曇り空の日ばかりでした。
五月も同様で、一日から雨が降りつづけ、雨のふらない日は六日、六月は五日、七月には四日ばかり、八月には六日間。おまけに連日やませと呼ばれる冷い北東風(やませ)が吹き、まるで寒中に降る雨を思わせるような、寒い夏を迎えたのでした。
だが然し、前にも申し上げましたように、去年の冬は、春のような温かさでした。そのため畑の麦は青々と生育がよく、農家では、麦の収穫に期待をかけておりました。ところが刈り取り時期になりますと、連日の寒さと雨天つづき、これでは満足にみのりようもありません。
稲作や大豆・稗等も、全く予想もつかない不順天候のため、収穫の期待は、全く裏切られる結果になってしまったのでした。この不順な天候のため、例年ですと、春にいちどに咲く藤や山吹の花が、ずうっとおくれて夏の六、七月に咲き、クリンソウや唐アオイの花など は、春から秋の終りまで、四度も五度も、だらだらと 咲きつづけました。
夏菊などは、秋も終りの十一月に狂い咲く有様でした。タケノコなども、九月から十月にかけて、にょきにょきと顔を出して人々を驚かせ、秋も終りの頃にセミの声が聞かれると言う具合に、あたかも気が狂ったような陽気がつづきました。
いつもの年ですと、七月には稲の穂が出るのですが、七月の下旬をすぎても一向に穂の出る様子がなく、たまに穂が顔をのぞかせても、葉の陰にかくれて、花のかかるものはありませんでした。そんな有様でしたので、とうとこの年は、稲は一粒も稔ったものは、ありませんでした。
恵比須屋善六の天明三年の凶作状況報告の手紙は、異状な天候不順の様子を伝え、さらに、村や町の飢饉の深刻な状況を書き綴っている。 (以下略)
「みちのく南部八百年史 地の巻」 正部家種康著 伊吉書院より引用
積雪が無いから来春はケガジ(飢饉)だとはならないのですが、元八戸市博物館長さんが書かれた事を思い出し、コピーしてしまいました。
来年は、ケガジ(飢饉)ではなく、山口県萩市のように地球温暖化による 暑い夏になるのかもしれません。
雪のない年頭・・・、長いブログとなり申し訳ありません。