癒しの庭Ⅲ

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どんど焼きかな!

2008年01月14日 | Weblog
  今日は昼におかあさんの病院に行きました。夜に家を空けていてはいけないからではありなせん。午前中に2人のお客さんと会い、3ヶ所に出かけ、今日の仕事が終わったのでおかあさんの病院で昼食にする事にしたのです。加えて夜の行き帰り1時間余の運転は滑って危ないからです。

  病院に行くとsawameのおにいさんとおねえさんがお見舞いに来て下さっていました。どうも有り難うございました。

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   病院の帰りに、いつも見慣れている神社に人が集まり火が焚かれています。
  小正月(こしょうがつ)の行事で「どんどやき」かなと思いました。
      
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   何を祭っている神社なのか気になります。赤い鳥居ではないので「稲荷神社」ではありません。2本の横柱の下の柱が長いので「神明神社」でもありません。鳥居まで近づいてみると「八幡神社」とありました。八幡八郎を祭った戦の神様でした。

  
  ネットで調べると小正月は明日1月15日ですが、やはり「どんどやき」のようです。
 

「どんどやき」とは

   1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を三四本組んで立て、そこにその年飾った門松注連飾り書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いたを食べるとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。 道祖神の祭りとされる地域が多い。 民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたのち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。

    どんど、どんど焼き、とんど(歳徳)焼き、どんと焼きとも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。子供の祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立てなどを子供が行う。またそれは、小学校などでの子供会(町内会に相当)の行事として、地区ごとに開催される。地方によって焼かれるものの違いがある。


「こしょうがつ」とは

  小正月は旧暦の正月にあたり、1年の最初の満月にあたる1月15日とされていました。太陽暦が用いられるようになり、元日を中心とする「大正月(おおしょうがつ)」15日を「小正月(こしょうがつ)」と呼ばれるようになりました。
   小正月は女正月と言って、地方によっては女性の骨休みの日とされています。暮れから正月にかけて忙しく働いた主婦をせめて1日でも家事から解放してあげようとねぎらう意味でこう呼ばれたとも。


   以下のような説明もありました。 

とんど焼き[どんと焼き、左義長(さぎちょう)]

  平安時代に宮中で行われていた祭事で、一般的には15日に行われますが、関東や浅草の鳥越神社では松の内が明けた8日に行われます。早く行われたのは、江戸時代に幕府が正月を短くするようにと言うお達しがあったからだそうです。この日は全国の神社、村や町で正月飾りや古い札、書初めなどを燃やします。

   日本では昔から大きな火を炊くことは魔よけ、清浄の世界を回復するための大切な行事とされており、このお正月とお盆に集中しています。書初めが高く燃え上がれば、字が上達し、とんど焼きの火にあたれば、病気にならないと言われています。またこの火で焼いた団子や餅をいただくと無病息災で、その年を過ごせると言い伝えられています。
  地域によっていろいろな行事が行われているこの小正月。年々この風景も変わりつつありますが、昔ながらのこの伝統行事、いつまでも続いてほしいものです。
  起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。小正月(正月十五日)、平安時代の宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、その年の吉凶などを占ったとされる。毬杖(ぎっちょう)三本を結ぶことから三毬杖(さぎちょう)と呼ばれた。 これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。どうして現在一般的な「左義長」という字があてられたのは、不明である 


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   私が見ていたら、次第に地域の人が集まって来ました。

   私も、「昔ながらのこの伝統行事、いつまでも続いてほしい」と思います