走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

ミュージカルか、大衆演劇か

2010年01月05日 23時33分52秒 | 職場の出来事
 今日は、第7ブロック(http://www.matsuyama-people.jp/04/index.html)と第8ブロックへ行って来た。

 その中で、理想と現実のはざ間で苦悩する部下の悩みを聴いた。

 彼は、まちづくりは住民自らがするのが理想だと考えているが、現実には(住民が)我々(公民館主事)に頼りきってしまうところがあると。
 彼は彼なりに、その根拠を分析しており、その要因が「役員の任期一年制」にあるというのである。
 この任期を長くすると役員のなり手がないというのである。
 実は、これが地域力の現状であり、都市化すればするほどこの傾向にある。
 一年の任期だと、「使命感」や「やりがい」といったものを感じるまでに、その役割が終わってしまう。

 これに、個人主義の蔓延や地域に対する帰属意識の希薄といったものが拍車をかける。
この傾向をとめるすべがない中で、何とかならないか考え続けてきた。
現場いる公民館主事の方がより切実に感じており、その打開に向けて必死で取り組んでくれている。

 ただ、途中から(この傾向が)全地域でないということが見えてきた。

 そこで、私は次のように大別している。
 
 ①まだまだ地域力が残っている地区
 ②地域力が壊れかかっている地区
 ③地域力が壊れて再生できない地区

 幸いにも③に分類される地区はないが、②と③の中間に位置づけされる地区はいくつかあると思っている。
 そして、①から③に向かうにしたがって、役員の地域に対する思いや使命感が希薄になってきており、役員の任期や顔ぶれが頻繁に変わることに気づかされる。

 では、単純に任期を延ばせばいいのか。
 それでは何の解決にもならないし、かえって彼が言うようにマイナスの方に向かってしまう可能性がある。

 そこで視点を切り替えてみた。
 どう切り替えるか。

 私はこういう場合、単純明快に整理することにしている。
 例え一年でも、「役員をやってよかった」と思ってもらうようにする。
 そして、「また役員をやってみたい」と思わせる。
 そういう風に仕向けるような演出をして欲しいと彼に頼んだ。

 「課長、でもどういう風にしたらいいんですか?」
 「そうやなあ...。最近、私は『住民』を『大衆』というように置き換えるようにしているのよ」
 「はあ...」
 「大衆は、常に難しいことを求めていないと思うのよ。」
 「はあ...」
 「大衆は、おもろいこと、わかりやすいことには、反応するわけよ。」
 「そうですね」
 「地域の人たちも同じじゃないかと思うんよなあ」
 「はい」
 「例えばね、ミュージカルを好きな人はおるけど、大衆演劇が好きな人もおるよねぇ。」
 「そうですね」
 「でも、その割合はどちらが多いと思う?」
 「それは大衆演劇ですかねぇ。」
 「そうなんよ。地域の人も同じよねぇ」
 「いきなり大衆にミュージカルを求めても難しいものがあるんよ。」
 「そうですね。」
 「スキルは段階的にステージを上がっていくものやから、いきなり無理をせん方がエエ。」
 「なるほど」
 「役員の人たちに何かを企画してもらう時に大衆演劇からはじめてもらい、
  それを地域の人たちが『ドカーン』と喜ぶ。
  すると企画した側は、『してやったり』と思うわけ。
  すると(役員の人たちは)やりがいを感じてくれるわけ。
  ほやから、そこから始めてもらうんよ。」
 「わかります。」
 「ええかねぇ、暗い人の周りには人は集まらんが、明るい人の周りにはほっといても人は集まる。
  それが出来だしたら地域の最前線で働く私らの仕事は楽しくなるよ。」
 「そうですね、やってみます。また、相談にのってください。」
 「いつでも、ええよ。おもろいことやろや。今年一年、また頼むよ」
 「わかりました。」

 このようなやり取りが、大事だなと日々感じています。