走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

森の子育て

2010年05月11日 00時14分25秒 | ちょっといい話
 BS-11で「プラネットベービズ」という番組をしていて、『森の子育て』というテーマを放映していた。

 小さな男の子と姉がいて、男の子がとってもやんちゃで姉をいじめていた。
母親は、そんな様子を見ても、その男の子を怒りも、諌めようともしない。

 そんなある日、その母親の母親が野草を持ってやってくる。
男の子が姉をいじめるのは、悪霊のせいで、その悪霊を追い出すために薬草を煮たお風呂で身を清めるといいというのだ。
だからといって別に熱湯をかけるわけではない。
行水みたいなものである。
でも、その男の子はただならぬ雰囲気に泣きじゃくる。

 しかし、男の子は泣きじゃくりながらも諦めて、おばあちゃんが手にした薬草で身体を清めてもらうのである。
そして、その儀式が終わると、うって変わって兄弟仲良く遊ぶようになる。
まさに悪霊が落ちたように。

 これを見ながら、前に書いた「閻魔様」の話を思い出す。

 でも、この話の凄いのは、母親がまったく子どもを叱っていないということである。
叱らなくとも、子どもは自らが学び、同じ過ちを起さなくなってくるのである。


 そして、この話は「お手伝い」へとつながる。
 野良作業をしている傍らで、その男の子は、その小さな手にナイフを握り、見よう見まねで母親と同じ仕事をし始める。
母親は、まったく無視である。
ナイフの持ち方を教えるわけでもなく、ナイフが危ないからと怒るわけでもない。
傍らで仕事のような遊びをする子どもとは一言もコミュニケーションを交わさない。
そのかわり、黙々と仕事をする。
ほめるわけでもない。
邪魔するわけでもない。

 でも子どもは、その時の自分の能力の範囲でナイフを操る。
 メキメキ上達し始める。

 解説者は、かつて我が国にもこれと同じ姿があったという。
 私も振り返れば、畑仕事をする父親の近くで遊んでいた。
 父親は、何も声をかけてこない。
 黙々と仕事をしている。
 でも、子供心に背中に父親の温かい眼差しを感じていたような気がする。

 「教え育む」ということ。
 やはり、立ち返るときだと思う。