会議に出ていて感じるのは、その話の論点が何であるのかを理解せぬまま、だらだらと聴いて終わるという人を見かける。
ずいぶんとつまらない話だっただろうなと同情してしまう。
その一方で、お話をされる方の中にも今日の話の「芯」が何であるのか、説明がヘタだけならいいのだが話さずに終わられる御仁がいる。
何のために出席したのか、出席してもらったのか、双方とも不幸な出来事で終わってしまう。
聴く側も話の「芯」が何であるのか短時間で見つける訓練をし、見につけておかねばならない。
そういう意味では漫然と話を聞く姿勢から、真剣勝負的な姿勢で話を聴かねばならない。
少し大仰になったが、「芯」とは、ものの本質や話の本質をさす。
これを見出して理解するのとしないのでは大きな違いになるということがいいたいのである。
重箱の隅をつついても仕方がない。
その重箱をどのように活用し、それによって何が生み出されるのか、そのことを見ることの方がずっと大切だということである。