このわれを父と思ひてひとすぢにたよる我が子に吾れもたよれり 太田水穂(おおたみずほ)
「この私を父親だと思ってひたすらに頼って来る我が子に、私も生きる縁(よすが)として頼っているんだよ。」
この歌は、太田水穂とその子の間柄が分からないと分かり難い歌だ。
亡兄の第三子青丘(八歳)のときから引き取って養育している。その間柄が分かると「このわれ」の意味が判然としてくる。
父母に手をば引かれてうれしきか此の子は足をあげつゝぞゆく
という一首を背景に置くともっと素晴らしく心に響く。
このわれを父と思ひてひとすぢにたよる我が子に吾れもたよれり 太田水穂(おおたみずほ)
「この私を父親だと思ってひたすらに頼って来る我が子に、私も生きる縁(よすが)として頼っているんだよ。」
この歌は、太田水穂とその子の間柄が分からないと分かり難い歌だ。
亡兄の第三子青丘(八歳)のときから引き取って養育している。その間柄が分かると「このわれ」の意味が判然としてくる。
父母に手をば引かれてうれしきか此の子は足をあげつゝぞゆく
という一首を背景に置くともっと素晴らしく心に響く。
さもあらばあれ大和心し賢くはほそぢにつけてあらずばかりぞ 赤染衛門 後拾遺和歌集
赤染衛門が子供を産んだので、乳母を雇ったのだが、その乳母があまり乳が出なかった。
そこで、夫の大江匡衡が次の歌を詠んだ。
はかなくも思ひけるかなちもなくて博士の家の乳母(めのと)せむとは
「まったく浅はかな考えでいるものだ。乳(ち)(「知」と掛ける)もろくに出せないくせに文章博士の家の乳母をしようとは。」
この歌への赤染衛門の返歌が今回の掲出歌だ。
さもあらばあれ大和心し賢くはほそぢにつけてあらずばかりぞ 赤染衛門(あかぞめえもん)
「まあ、いいじゃあないですか、大和心さえ賢くあるなら、乳や知が足りなくても博士の家に置きましょう。」
当初、大江匡衡の歌を読んだ時に、乳母に対してかなり厳しいことを言っているなあと思った。だが、よくよく考えると、乳母を雇ったのは大江匡衡であり、妻に対して、「ごめんね、乳の出を確かめもせずに乳母を雇ってしまって。」というお詫びの意味が、この歌には込められていると感じるようになった。
そして、赤染衛門の返歌がすばらしい。では、赤染衛門の言う「大和心」とは何か?
それは、この歌の中に示されている。乳の出ない乳母、そしてその乳母を雇った夫に対して、赤染衛門は、寛大な態度を取っている。つまり、大和心とは人の心を思いやる心だ。
この乳母が子供を大切に育てようとする気持ちがあればそれで良いですよ。私はすっかり赤染衛門のファンになった。
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探します。時間は掛かると思いますが、よろしくお願い致します。
母ゆゑに 心焦(イラ)れに笑ふこゑ 肌にひゞきて、たふとかりけり
実はこの歌には触れずにいようと思っていた。
寝ていたら、釈超空の幼少の傷を提示するだけで済ませてしまうのかという心の声が聞こえてきた。それでいいのかとしつこく詰め寄ってくる。
分かってもらえるかどうかは分からない。私が説明しきれるかどうかも分からない。
だが、掲出歌に立ち向かうことにした。
掲出歌は、以下の二首に続いている。
我が父の持てる杖して 打ちたゝくおとを 我が聞く―。骨響く音
わが母の白き歯見ゆれ―。我が哭けば、声うちあげて、笑ひたまふなり
私の父親が日ごろ使っている杖で私の背中を打ちつける音を私は悲しく聞いている。杖の打ちつける音は骨に響くほどの痛みだが、痛みよりも何故か悲しみで心が覆われた。
父親に打ちつけられる私を見て母親が苛立たし気に笑っている。憎々し気に笑う母親の白い歯が見えた。とても白い歯だ。もう一度、父親から杖で叩かれ、痛みと悲しさに堪えかねて私が哭くと、母親は大きな声を出して笑いなさった。
母親は苛立たし気に笑っている。その笑い声が私の打ち据えられた肌に沁み込んで来る。
自分の母親であるが故なのだろうが、苛立たし気に笑う母の心の悲しみがみえるようで、私はその悲しさを抱える母親を尊いものだと思った。
「わが母の白き歯見ゆれ―。我が哭けば、声うちあげて、笑ひたまふなり」の歌の解釈は上記の通りだ。
殴られたら怒る、憎む、抵抗する、殴り返す。当然と思える反応だが、人の感情はそうは動かない。多分、家庭内暴力で子供を救おうとしている方々はそのことに気づいていらっしゃると思う。「もうこんな親とは一緒に居たくない。」と言ってさえくれれば、対応は簡単なのだ。
啄木の「たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」というボディコミュニケーションを取るなどということは考えもつかない。
釈超空は、
山に臥すけだものすらよ 子を愛(メ)づる。我は劣れり。親に憎まゆ
とも詠っている。親に愛されていない自分が悲しいのだ。
前(サキ)の世の 我が名は、
人に な言ひそよ。
藤沢寺の餓鬼阿弥(ガキアミ)は、
我ぞ
そして、私の前世は餓鬼阿弥あり地獄で苦しんでいる者の生まれ変わりなのだと。
いきどほる心すべなし。手にすゑて、蟹のはさみを もぎはなちたり
この衝動に駆られたいびつな行為を何故してしまったのか本人も諒解できていないだろう。
折口信夫として一途に神を追い求めなければならなかった理由は、幼少期の体験によるあるのではないか。そして、釈超空として歌に託しながらそのことを語らねばならなかったのではないか。
わが母の白き歯見ゆれ―。我が哭けば、声うちあげて、笑ひたまふなり 釈超空(しゃく ちょうくう)
この歌だけでは、意味が判然としないかもしれない。この歌の前の一首は、
我が父の持てる杖して 打ちたゝくおとを 我が聞く―。骨響く音
今で言えば、家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)だ。
子供を骨が響くまで杖で殴りつける父親。
そして、その暴力泣く子供を見て、白い歯が見えるまで大きく笑っている母親。
子供の心は荒むのだ。辛いのではない。悲しいのだ。
上記の歌は『倭をぐな』に載る一首。それ以前の歌集『海やまのあひだ』には、以下の一首が載っていた。
病む母の心 おろかになりぬらし。わが名を呼げり。幼名によび
幼い頃の呼び名で呼ぶことをどうして「おろか」になったと感じたのか、そのことが引っかかっていた。この頃ははっきりとは言い難かった告白を<わが母の>でしたのだ。
偉大な民俗学者(折口信夫)となった人の心の傷だ。
我(われ)と来て遊べや親のない雀 小林一茶(こばやしいつさ)
『古典詞華集一』 山本健吉 小学館より
<おらが春』に「六歳弥太郎」として出ていて、次のような前文を添えている「親のない子はどこでも知れる、爪を咥えて門に立つ子と子どもらに唄はるるも心細く、大かたの人交りもせずして、うらの畠に木萱など積みたる片陰に跼(またが)りて、長の日をくらしぬ。我が身ながら哀れ也けり」
片親がなく、子供の遊びの仲間にも加えてもらえないで、しょんぼりと爪を咥えて門に立っている自分と一緒に遊べ、親のいない独りぼっちの雀よ。(中略)雀の子に対する哀憐よりも、自分の不幸を誇張し、協調して、ひとの同情をかち取ろうとする意識が見える。だが、片親で育った心の傷痕が、彼にとって深いもので、その生涯に如何に大きな影を落としているかということも、この句から想像できる。>
何もそこまで言わなくてもいいだろうと思える鑑賞だが、大方はその通りだろう。
「子供の遊びの仲間にも加えてもらえない」訳ではなく、一人でいる方が気が楽なのだ。遊んでいる内に、母親の話題が出たり、母親が迎えにやって来る。母親がいなくて悲しいだろうと思うのは、母親のいる人の感覚だ。
母親のいない子は母親というものの存在がどういうものだか分からない。それは、母親の愛情を知らないということでもあるのだが。
友達の母親は、この子は母親がいなくて可哀そうねみたいな顔をする。そういう顔で見られるのが嫌で、独りで遊ぶことが多くなる。そんな感じだ。