見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮 藤原定家(ふじわらのていか)
「花も咲いていない紅葉も終わってしまった入り海の海岸に建てられた粗末な小屋だけが見える秋の夕暮れだ。」と詠う。
さあ、この殺風景な景色に何を見るのか。それは、桜が見事に咲いていた俤であり、紅葉が色づいていた時の俤だ。殺風景を殺風景と見るのではなく、美しかった過去の俤をその景色に重ねているのだ。そして、それはうらぶれた貴族階級の華やかなりし頃の旧懐でもあろう。
見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮 藤原定家(ふじわらのていか)
「花も咲いていない紅葉も終わってしまった入り海の海岸に建てられた粗末な小屋だけが見える秋の夕暮れだ。」と詠う。
さあ、この殺風景な景色に何を見るのか。それは、桜が見事に咲いていた俤であり、紅葉が色づいていた時の俤だ。殺風景を殺風景と見るのではなく、美しかった過去の俤をその景色に重ねているのだ。そして、それはうらぶれた貴族階級の華やかなりし頃の旧懐でもあろう。
古池や蛙飛びこむ水の音 松尾芭蕉(まつお ばしょう)
「俳句」の代名詞と言ってもいいような句だ。
小学生の時に友達がいきなり「古池や蛙飛びこむ水の音」と言った。そして、少し間を置いて「ポチャッ。」おお、良いギャグのセンスだった。
別の友達が「古池や蛙飛びこむ水の音」 「ドボン」そりゃあないだろうと大笑い。
俳句で笑った唯一の思い出だ。
さて、この句の意味するところだが、「古池で一匹の蛙が鳴いていた。その蛙が水の中に飛び込んだ。その飛び込んだ水音の後、古池は静寂に包まれた。」と言うことだ。
さあ、これでこの句の本歌がお分かりになっただろうか。
つり鐘の蔕(へた)のところが渋かりき 正岡子規(まさおかしき)
『古典詞華集一』で蕪村の<池田より炭くれし春の寒(さむさ)哉>の鑑賞を読んでいたら、
子規のこの句が浮かんできた。
「渋い」というのは、渋柿の渋さではない。甘柿でもとても甘いものとあまり甘くはないが柿の風味がするものがある。その風味を“渋み”と呼んでいる。(表現力不足で情けない。)
子規はその渋い柿が好物だったようだ。
で、頂いた「つり鐘」という種類の柿は甘い柿だったのだろう。お礼方々そのことをそっと揶揄するように、蔕のところだけを褒めたのだ。
池田より炭くれし春の寒(さむさ)哉 与謝蕪村(よさぶそん)
『古典詞華集一』 山本健吉 小学館より
「池田は摂津池田で、蕪村門の俳人も多かったが、古来、池田炭と言って炭を名産とする。その門下の誰かから炭を送って来たのだが、それを感謝するとともに、その親切を少し揶揄する心があったという木村架空説(蕪村夢物語)は面白い。
ただ、炭というのなら、近くの鞍馬でも八瀬大原でもいいが、池田は伊丹と並んで、古来、有名な酒造地だ。それが酒だったらなお嬉しかろうと、少し気の付かぬところを、春寒をもって諷した。(中略)架空は句中の「池田」の二字が動かないのは、全く蔭に酒にあるのだという。」
「春の寒さ」は、気が利かねえなあってことだったんですね。でも蕪村と池田の門下とは、気の置けない仲である事も分かる。この句を頂戴して、池田の門下生は、早速、酒を届けただろうか。
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寝転べば蒼天に散る山桜 風天道人
かなり昔のことだが、妻と二人で春の野山を散策した。思わぬ場所に桜の木が五、六本。花見ごろだった。その日は、平日でその場所には誰もいず、山鳩が日向ぼっことしていた。
私は、満開の桜の木の下に寝そべった。すると、晴れ渡った空に向かって風が吹いてきた。桜は風に靡き、空に向かって散っていくかのように花びらが震え、花びらの隙間から真っ青な空が覗いていた。
妻と何を話したのかは、さっぱり覚えていない。
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