昨日のブログの主張と真逆の主張になりますが、机拭きをすると、諦めが良くなる!ことを振り返ってみます。
これは、自席の机拭きではなく、会議室などの共用スペースを机拭きをしたときに体得した効果です。
毎朝、机拭きと一緒に、椅子の整頓やホワイトボードの掃除をしています。
最初のうちは、使った後に元通りの(キレイな)状態に戻さないことに苛立ちを感じていました。
どうしてキレイにしてあるものを、平気で乱れた状態にできるのだろう?
乱れた状態にする、同僚たちは礼儀作法がなっていない! と心の中で糾弾する毎日でした。
とある日、自分は何のために、共用スペースの掃除をしているのか自問してみたのです。
同僚たちから、感謝されたいため?
それとも、自分が乱れた状態が嫌いなだけ?
この自問をしたことで、同僚たちがキレイな状態に戻さないことに対して、苛立ちを持たなくなったのです。
自分自身が気になって、共用部分の整理整頓をしているだけで、同僚たちには別の価値観があって、乱れたままで気にならないのだということに気づけました。
この経験を通して、他人と自分は、別の価値観を持った、まったく別の存在であることを痛感しました。
心理学でいう、離別感を持った対応ができたのです。
離別感が持てれば、相手への期待度が下がり、諦めができるようになってきます。
この感覚に気づかせてくれた、共用スペースの机拭きには、感謝感謝です。
本日も最後まで読んで下さり、有難うございます。
これは、自席の机拭きではなく、会議室などの共用スペースを机拭きをしたときに体得した効果です。
毎朝、机拭きと一緒に、椅子の整頓やホワイトボードの掃除をしています。
最初のうちは、使った後に元通りの(キレイな)状態に戻さないことに苛立ちを感じていました。
どうしてキレイにしてあるものを、平気で乱れた状態にできるのだろう?
乱れた状態にする、同僚たちは礼儀作法がなっていない! と心の中で糾弾する毎日でした。
とある日、自分は何のために、共用スペースの掃除をしているのか自問してみたのです。
同僚たちから、感謝されたいため?
それとも、自分が乱れた状態が嫌いなだけ?
この自問をしたことで、同僚たちがキレイな状態に戻さないことに対して、苛立ちを持たなくなったのです。
自分自身が気になって、共用部分の整理整頓をしているだけで、同僚たちには別の価値観があって、乱れたままで気にならないのだということに気づけました。
この経験を通して、他人と自分は、別の価値観を持った、まったく別の存在であることを痛感しました。
心理学でいう、離別感を持った対応ができたのです。
離別感が持てれば、相手への期待度が下がり、諦めができるようになってきます。
この感覚に気づかせてくれた、共用スペースの机拭きには、感謝感謝です。
本日も最後まで読んで下さり、有難うございます。