夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

シューベルト:弦楽四重奏曲全集

2006-04-22 | music

 シューベルト(1797-1828)の弦楽四重奏曲は15曲(2曲は断章)あって、分量は多いのですが、1811年から16年にかけて作曲された第11番までの作品は家族や友人によって演奏されるためのホーム・ミュージックで、歌曲の分野で「糸をつむぐグレートヒェン」、「野ばら」、「魔王」といった傑作が早くもこの時期に産み出されていたのと比べると物足りなく感じます。シンフォニーについても1818年の第6番までが成長期と言いましたが、彼はあふれるようなメロディをアンサンブルとして各声部がよく鳴るように組み立て、複数の楽章を展開させながらまとめ上げる力量を努力して身に付ける必要があったのでしょう。

 そういう訓練を経て、持ち味である陰影に富んだ感情を自在に音楽として繰り広げることができたように思います。その頂点が1824年の第14番ニ短調「死と乙女」ですが、1820年のハ短調のアレグロ楽章だけの第12番を聴くだけでもそれまでの曲とは緻密さ、感情の振幅の大きさといった点で格段の進歩を示していて、コントラバスが入るちょっと変わった編成のピアノ五重奏曲イ長調「ます」を前年に作曲したのが何かヒントになったような気がします。いずれにしてもこの数年で歌曲よりももっと構成的な作品を書く実力を獲得したのでしょう。

 「死と乙女」を書き上げた頃に友人に宛てた次のような手紙があります。進行する梅毒とその治療法である水銀蒸気を浴びたために、脱毛や発疹、めまい、頭痛などに悩まされていた中でのものです。

 一言でいうと、僕は、自分がこの世で最も不幸で最もみじめな人間だ、と感じているのだ。健康がもう二度と回復しそうもないし、そのことに絶望するあまり、ものごとを良くしようとするかわりに、ますます悪く、悪くしていく人間のことを考えてみてくれ。いわば、最も輝かしい希望が無に帰してしまい、愛と友情の幸福が、せいぜい苦痛のタネにしかならず、(せめて心を鼓舞する)美に対する感動すら消え去ろうとしている人間のことを。君に聞きたい。それはみじめで不幸な人間だと思わないかね?
「私のやすらぎは去った。私の心は重い。私はそれを二度と、もう二度と見出すことはないだろう」、僕は今、それこそ毎日こう歌いたいくらいだ。なぜなら、毎夜床に就くたびに、僕はもう二度と目が覚めないことを願い、毎朝目が覚めるたびに、昨日の怨みばかりを告げられるからだ。
……リートの方では、あまり新しいものは作らなかったが、その代り、器楽の作品をたくさん試作してみたよ。ヴァイオリン、ビオラ、チェロのための四重奏曲を二曲、八重奏を一曲、それに四重奏をもう一曲作ろうと思っている。こういう風にして、ともかく僕は、大きなシンフォニーへの道を切拓いていこうと思っている。


 肉体的にも精神的にもひどい状態で、自殺すら考えにはあったように思えますが、その中で「大きなシンフォニー」を作曲するために自分に欠けているものを着実に体得し、この地上に爪跡を残そうとしていたことがわかります。たぶんそう遠からず「もう二度と目が覚めなくなる」ことがわかっていたのでしょう。実際あと4年で32歳になる前にそうなってしまったのです。

 さて、こういうふうに説明してくるとシューベルトの室内楽は1820年頃以降のものだけを聴けばよくて、その暗い楽想のところは病苦や死への恐怖を表わしていると理解すればいいように思われるかもしれません。確かに演奏される機会が多いのは「ます」以降の作品ですし、彼の健康状態が作品に影響していることは間違いありません。しかし、第1番の弦楽四重奏曲から順番に聴いていくと、いろいろなことが聞えてきます。第1ヴァイオリン以外がどうにも鳴っていなくて、特に彼の父親が受け持ったチェロ・パートは極めて簡単に書かれていますが、それでも1813年の第4番ハ長調になるとかなりアンサンブルができてきて、しかも彼らしい暗く激しいような楽想が現われてきます。彼の中にあったものが病気によってより強く、より早く引き出されたというふうに感じられます。有名な曲だけじゃなく、いろんなものを聴くことで、その作曲家と付き合うことができるように思います。



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2 コメント

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なるほど・・ (いちご)
2006-04-24 09:06:31
苦しい状況の中で生み出すものの大きさを感じました。有名なものもよいですがその他の作品を聴く事は大切だと思います確かに

ちょっとシューベルトを久々に聴いてみようと思いました。
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シューベルトっていいですよw (夢のもつれ)
2006-04-24 10:32:37
モーツァルトのようなキラキラした才能もないし、ベートーヴェンのような強烈なたくましさもないんですけど、不十分だったり、不完全だったりするところがなんとも言えずいいんですよね。えこひいきしたくなる人って感じです。



画像はウィーンの下町にある彼の生家ですが、実際はもっと庶民的な感じの家で、こういうところで初期の弦楽四重奏曲を家族で演奏したんでしょう。
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