4/18にサントリーホールで行われた読売日響の定期演奏会に行って来ました。プログラムはスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮で、ブルックナーの交響曲第5番です。4月からはコントラバスの真上って感じの指揮者から見て斜め45°の席というのは同じですが、いちばん前になりました。ほんの少し前の方に行っただけなのに音がより生々しくなって、スクロヴァチェフスキの手の動きがよく見えます。おおげさに言うとオケの中に入ったような感じです。イスを座り直す音、楽器が床やイスに当たる音、金管に溜まる唾を吹き出す音……楽音以外のいろんな音をオケのメンバーが聞いているということを改めて気づかされます。こうした音は他の席やCDでも聞こえることがありますが、より直接的な響き方です。もちろん一部のオーディオマニアじゃあるまいし、そんな音が聞こえたって別に音楽の理解とは関係ありません。ただコンサートの楽しみ方はいろんなものがあってもいいんだろうし、こういうのもありかなって思いました。サントリーホールが優秀だと言うのも素人くさくてカッコ悪いんですが、いちばん遠い第1ヴァイオリンのソロもちゃんと聞こえましたし、音のバランスもそんなに変じゃなかったんでその方が感心しました。
さて、肝心の演奏内容ですが、今まで4番と3番をこの指揮者で聴いて、いろいろイメージするものがあったんですが、この日はふつうの演奏に聞こえました。十分に丁寧で力強く、ニュアンスにも富んでいました。この曲はスコア上の問題もほとんどない初めての作品ですが、それが彼のアヴァンギャルドな面を覆い隠してしまったんでしょうか。事前に手持ちのザールブリュッケン放送交響楽団でのCDを聴いていたんですが、さっき挙げたような諸点のどれも実演の方が勝っていたと思います。
しかし、こういう有名な曲でそういう演奏では私のような書き手には手も足も出ません。妄想したり、ラテン語の歌詞を取っ掛かりにあれこれ言うのが、身上なのに。……ということで、今回はメモ代わりに書き留めておくだけにします。
第1楽章では金管によるコラールの強奏が「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」って言葉を想起させて、この曲の実質的なスタートなのかなって思いました。第2楽章は楽章の切れ目と間違うほどのゲネラル・パウゼが印象的でした。第2主題は「昔なじみの野暮ったいブルックナーの歌」といったところで、思わずホロリとさせられます。第3楽章は加速する感じが心地よいスケルツォで、バスチューバが野蛮な祖先の記憶を引きずり出します。お決まりのレントラーと代わる代わるしつこく、つまりブルックナー的に繰り返されます。第4楽章はフルートがオペラの中の鳥の声のような旋律を奏でます。当日の印象としてはとてもメカニカルな曲で、ブルックナーが当初持っていた「物語」のシナリオからどんどん遠ざかってしまったんだろうと思いました。
さて、肝心の演奏内容ですが、今まで4番と3番をこの指揮者で聴いて、いろいろイメージするものがあったんですが、この日はふつうの演奏に聞こえました。十分に丁寧で力強く、ニュアンスにも富んでいました。この曲はスコア上の問題もほとんどない初めての作品ですが、それが彼のアヴァンギャルドな面を覆い隠してしまったんでしょうか。事前に手持ちのザールブリュッケン放送交響楽団でのCDを聴いていたんですが、さっき挙げたような諸点のどれも実演の方が勝っていたと思います。
しかし、こういう有名な曲でそういう演奏では私のような書き手には手も足も出ません。妄想したり、ラテン語の歌詞を取っ掛かりにあれこれ言うのが、身上なのに。……ということで、今回はメモ代わりに書き留めておくだけにします。
第1楽章では金管によるコラールの強奏が「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」って言葉を想起させて、この曲の実質的なスタートなのかなって思いました。第2楽章は楽章の切れ目と間違うほどのゲネラル・パウゼが印象的でした。第2主題は「昔なじみの野暮ったいブルックナーの歌」といったところで、思わずホロリとさせられます。第3楽章は加速する感じが心地よいスケルツォで、バスチューバが野蛮な祖先の記憶を引きずり出します。お決まりのレントラーと代わる代わるしつこく、つまりブルックナー的に繰り返されます。第4楽章はフルートがオペラの中の鳥の声のような旋律を奏でます。当日の印象としてはとてもメカニカルな曲で、ブルックナーが当初持っていた「物語」のシナリオからどんどん遠ざかってしまったんだろうと思いました。
とは言え、料理を甘かった、辛かったみたいに再現したようなことを書きたくもないし。。そんなの書けないし。