夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ヒンデミットの「レクイエム」をめぐる対話・下

2008-11-09 | music
我々の対話の続き。
「じゃあ、原詩の構造を検討しながらヒンデミットの音楽もついでに見ていこうか。全部で16節からなる長い詩は次のように始まる(ただし、ヒンデミットはこれと違って11部に区切って作曲しているのでその対応を示しておこう)。

When lilacs last in the dooryard bloom'd,
And the great star early droop'd in the western sky in the night,
I mourn'd, and yet shall mourn with ever-returning spring.

1行目の last は次の行の early と対照をなす副詞だということと3行目の yet shall のニュアンスを活かして訳すと、

ライラックが前庭でまだ咲いているのに
偉大な星がもう西の夜空に沈んだ。
そのとき私は嘆いた。そして春が来るたびにいつまでも嘆くだろう。

となるかな。ライラックに象徴される自然に触発されて the great star に象徴されるリンカーンの死を嘆くという全体のモチーフがもう出ているわけだね」
「うんうん。第1節から第3節(ヒンデミットの区切りでは第1部)はそれを敷衍してるのね。で、第4節(第2部)では沼のそばで内気で孤独なつぐみ the thrush が現れて、歌を唄う。

Sings by himself a song.
Song of the bleeding throat,
Death's outlet song of life,

となっているから、つぐみは血を吐きながら唄ってるし、それは死の歌なのね」
「Death's outlet song of life は生きているつぐみが死を吐き出す歌なのか、いずれは死ぬつぐみが吐き出す生の歌なのか、どっちなんだろう」
「うーん。この1行が生と死の関係をアイロニカルに表現しているのはわかるんだけど、よくわからないな。でも、ここは暗示的だし、魅力的だね」
「第5節から第7節(第3部)は棺おけの旅ね。田園の描写からだんだん風景が広がって、合衆国 the States 全土が喪に服す様子が浮かび上がってくる。

Coffin that passes through lanes and streets,
Through day and night with the great cloud darkening the land,
With the pomp of the inloop'd flags with the cities draped in black,
With the show of the States themselves as of crepe-veil'd women standing,

この後も With で畳み掛ける表現が続いて気分が盛り上がって、

The dim-lit churches and the shuddering organs -- where amid these you journey,
With the tolling bells' perpetual clang,

と教会のオルガンと鐘が鳴るわけだから、それを活かさないヒンデミットの作曲はダメね」
「第7節はその棺おけにライラックを捧げるという内容で、ここまでが前半部だね。後半の出だしは冒頭と似ていて、第8節(第4部)が星は天体 orb と言い換えられて、その描写がリンカーンの死を悼む内容だし、第9節(第5部)はこれがつぐみの歌と結び付けられる」
「ヒンデミットはそれぞれ舟歌と田舎の歌にしてるわね。第10節と第11節(第6部の途中まで)は偉大な魂を私はどんな歌で飾ればいいのか、彼の墓にはどんな香りがふさわしいのかとつぐみが問いかけて、

Sea-winds blown from the east and west,
Blown from the Eastern sea and blown from the Western sea,
till there on the prairies meeting,

海風は東からも、西からも吹き
大西洋からも、太平洋からも吹き
ようやく大草原で出会った

と唄われるのね。この詩でここがいちばん好きよ」
「広がりが感じられるよね。その後は田園風景になって、次第に都会に場面が転換して、工場と労働者が現れる。音楽もそれらしくオルガンを動員して大げさなクライマックスを作っている。第12節(第6部の残り)はその続きで、マンハッタンの高層ビルやオハイオの岸辺、ミズーリ川と具体的な地名が出て来る。ずっと引っ張ってきて、ようやくアメリカが唄い上げられるところがいいね」
「第13節と長い第14節の途中までが第8部ね。つぐみが自然とその中で働く人びとを唄い、そしてヒンデミットが『賛美歌:愛する人びとのために Hymn"For Those We Love"』と名付けた一節が来る。

And I knew death, its thought, and the sacred knowledge of death.
Then with the knowledge of death as walking one side me,
And the thought of death close-walking the other side of me,
And I in the middle as with companions, and as holding the hands of companions,

これって、死についての熟考と死に関する知識と手をつないで歩いているってことよね。これのどこが愛する人たちへの賛美歌になるのかしら」
「死への想念に挟まれた自分、死を友にしているってイメージだね。神の慈愛にすがることで死者たちの魂を地獄から救おうとするレクイエムの目的とは違うね。全く相反するとか、矛盾するとまでは言えないけど、キリスト教的ではないし、ここでイメージされている死はあくまで自分の死だからね」
「それ以上に問題なのはここがバリトンのソロになってること。賛美歌って教会で信者が共に歌うものよ。自分たちが神の下で companions であることを確かめるためのもので、一人で唄うものじゃないって。詩の内容からは孤独なソロが正解だけど」
「要は『Hymn"For Those We Love"』って勝手にタイトルをつけた意図が邪だって言うんでしょ?」
「まあね」
「この後は第13節を繰り返すメゾソプラノとつぐみが『死のキャロル the carol of death』と唄い始めると告げるバリトンの二重唱か」
「その長いキャロルがそのまま第9部になってる。キャロルって聖歌って訳されるけど、祝う歌、楽しい歌って感じよね。確かにホイットマンもそうだわ。ただし、死の到来を喜んでるってことだけど。

Come lovely and soothing death,
Undulate round the world, serenely arriving, arriving,
In the day, in the night, to all, to each,
Sooner or later delicate death.
For life and joy, and for objects and knowledge curious,
And for love, sweet love -- but praise! praise! praise!
For the sure-enwinding arms of cool-enfolding death.

讃えよ!讃えよ!讃えよ!冷たく包み込む死のしっかりと巻きつく両腕をってちょっと怖いわね。音楽は翳りのある賛歌といった趣きで悪くないけど」
「From me to thee glad serenades,
Dances for thee I propose saluting thee,
adornments and feastings for thee,

セレナードに乗って死とダンスを踊るんだね。ここでヴィブラフォンが鳴って、舞踏会で美女にダンスを申し込むときのような原詩の感じがよく出てる。あたしは牡丹灯篭っていうか、ネクロフィアを思い出しちゃうけど」
「次の第15節(第10部)に戦場の描写がマーチに乗って出てくるのもすごいなって思うわ。現代の詩人には死への賛歌と戦死者の死体を繋げるような芸当はできないでしょ。従軍体験を元にした悲惨な光景をさんざ描いておいて本人たちは苦しんでいない、安らかだって言われてもねえ」
「I saw battle-corpses, myriads of them,
And the white skeletons of young men, I saw them,
I saw the debris and debris of all the dead soldiers of the war,
But I saw they were not as was thought,
They themselves were fully at rest, they suffer'd not,
The living remain'd and suffer'd, the mother suffer'd,
And the wife and the child and the musing comrade suffer'd,
And the armies that remain'd suffer'd.

残された母親や妻子や戦友は苦しんでいるんだよね。それはそれ、これはこれってことなのかな」
「気持ちのもって行き場がない感じね。でも、この詩の内容から言うとリンカーンの死を悼む気持ちと死を讃えるのがメインで、戦死者や遺族のことは大した問題じゃないのかもね」
「そうかもしれない。最後の第16節(第11部)は全体の内容をダイジェストしたような感じだけど、死者への言及は、

Comrades mine and I in the midst,
and their memory ever to keep for the dead I loved so well,
For the sweetest, wisest soul of all my days and lands
-- and this for his dear sake,

となっていて明らかにリンカーンのことしか言ってないからね」
「南北戦争はそれでいいかもしれないけど、第2次大戦にそれはないよって。ヒンデミットはどういうつもりだったのかしら」
「うーん。ナチスに追われて亡命したアメリカにおべっかをつかった?」
「そう。国民的詩人のホイットマンを使ってね。学識は高いけど、無節操な御用学者を連想しちゃったわ」
「音楽的にも勿体ぶってはいるけど、突き詰めたところはないし。まあ、こうやって見ていって、よくわかったね」
「うん。とっつきにくいけど、宗教曲とか宗教画ってわかりやすいよね。あ、そうそう。最後に一言。会場で配られた歌詞の訳がひどかったわ。石田一志っていう武蔵野音大の大学院で音楽学を専攻した研究者で、著書や訳書もいろいろあって王子ホールの芸術顧問やミュージック・ペンクラブ・ジャパン会長なんかもやった人みたいだからあえて言うんだけど、きちんと辞書を引いて、英語の意味を理解してから日本語にしなさい」
「そうだね。詩だからこそ文法的なこともちゃんと詰めないとダメなのに the welcome night and the stars が『ようこそ夜と星』ってなってたのは笑っちゃったね。……教え子かなんかに下請けさせたんじゃないの?」
「恥ずかしいってことではどっちも同じよ。ノンブランドなら見逃してあげてもよかったけどさ。うまい下手じゃなく、ここで引用した部分部分ほとんどすべてに誤訳があるんだもん、勘弁してよ」


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なんかいろんなものがあるサイトです。


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2 コメント

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ふうん… (ぽけっと)
2008-11-23 10:35:02
イメージ広がるいい詩じゃないの、このテンプレートもよくマッチして、と思いながら見ていましたが、竜頭蛇尾な感じもしますね。

でもなんでオルガンと鐘を鳴らさなかったんでしょうね、何か意図があったのかしら、聞き手の心の中で鳴らしてくださいとか敢えてキリスト教的なものを避けたとか。
曲を知らないからなんとも言えないけど。
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星3つ半 (夢のもつれ)
2008-11-24 00:44:53
の映画って感じで、部分部分はいいものがあるし、ストーリーも悪くないのに読後の印象がどこか散漫な感じでした。

最初に三位一体とか出てくるからキリスト教的なものを避けてるわけでもないようで、独自の解釈をしてるんでしょうね。
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