私はテレマン(1681-1767)の「食卓の音楽」というタイトルがとても好きです。端的に古典派以前の音楽と音楽家が置かれた立場を表わしていると同時に、音楽と食事を楽しみましょうよというテレマンのスタイルがいいなぁと思うからです。前者については、ハイドンやモーツァルトもそうした機会音楽を書く職人、召使のようなもの(ハイドンはエステルハーツィ公、モーツァルトはザルツブルク大司教)としてスタートし、悪戦苦闘しながら自立していったのです。
それがヴァーグナーになると逆にバイエルン国王を精神的に支配し、オペラハウスは造らせるわ、城はできるわで大したものに成り上がったわけです。ロマン派の時代って音楽家の主観と財布が膨張した時代だなぁって思います。だってくだらない作曲家、バロック以前だったら忘れられちゃったようなのが多いですしねw。
以前の記事から読んでいただいている方はおわかりかも知れませんが、私は演奏家でも、作曲家でもいいんですが、芸術家だから偉いとか、敬意を払うつもりは(少なくとも今生きている人については)全然ありませんw。仕事でやってるんだったら、それで飯食ってるんだったら、ある一定以上の技術というか、芸があって当たり前だと思いますし、そんなに偉く思ってほしければバッハやモーツァルトを超えてからにしてねって思ってますからw。
ポップスまで含めての話ですけど、コンピュータでもできるようなメロディ寄せ集め&退屈リズムの音楽と、リンカーンみたいな音楽(音楽家の、音楽家による、音楽家のための音楽w)の狭間で、聴くに値する音楽ってほんとに少ないと思います。職人か召使が作った音楽の方がよほど心に訴える力があるというのは、歴史の皮肉であり、必然でもあるように思います。クラシックの演奏家に至っては……まあこれくらいにしときましょ。今日のところは。
後者の音楽を楽しむってことについてですが、バッハと比べてって意味です。性格の差なのか、環境の違いなのか、バッハの音楽は全体として、真面目、真剣、徹底的って言葉で言い表すことができそうです。テレマンはその反対w。でも、人間(私?)ってそうそう真面目に、物事を突き詰めてばかりいられませんよね。それにテレマンの作品って十二分に心に訴えかけるものを持っています。テレマンを超える音楽家は今、ありや? 彼は偉そうなふりはしませんけど。
前置きが長くなりすぎました。テレマンはハンザ同盟市の中心ハンブルクで長く市の音楽総監督を務めました。リュベックのお隣ですね。様々な分野の曲を書いて、数千曲に及ぶとか。まめな人だったのかも。でも、残っているのはその一部で、いったん忘れ去られていたのが、20世紀後半にたぶんバッハの研究が進む中で再発見されたようです。こうした事情はヴィヴァルディもそうですし、すごくおおざっぱに言うと、ヘンデル以外のバロックの作曲家はたいていバッハのお蔭で蘇ったんでしょうね。それで音楽の父?w。
「食卓の音楽」は3部構成になっていて、例えば第1集は、序曲と組曲(2Fl,Str,bc)、四重奏曲(Fl,Ob,Vn,bc)、協奏曲(Fl,Vn,Str,bc)、三重奏曲(2Vn,bc)、ソロ(Fl,bc)、終曲(2Fl,Str,bc)といった感じです。フルートを中心にしていろんな形式、編成の音楽を展開するって感じですね。第2集はトランペット、第3集はオーボエに代わります。各曲の中身を見ると、組曲はロンドとかジーグとかの舞曲が多くて、終曲はAllegro、中間は4楽章の曲が多いです。オードヴル、各主菜、デザートって感じもしますが、食べすぎですね、これじゃw。
でも、もし宝くじで1億円、とまでいかなくても100万円も当たったら、やってみたいなぁ。生でこれを演奏させて、フランス料理を食べる会なんて。食事は5万円、ワインは10万円(どっちもそれ以上は違いがわからないので)、あとは全部演奏につぎ込んで。そういうのが本当の贅沢だと思うんですが。