5/28の木曜日にサントリーホールで行われた読売日響の定期演奏会へ行って来た。指揮はオラリー・エルツで、前半がシベリウスの「トゥオネラの白鳥」と「レンミンカイネンの帰郷」、バーナバス・ケレマンの独奏でプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番、後半がラフマニノフの交響的舞曲だった。
今シーズンから1階席の前方に変わった。第1ヴァイオリンの第3プルトを目の前に見上げるといった席である。これまでの管楽器や打楽器がよく見えたコントラバスの真後ろの席とは正反対で、ほぼ弦セクションしか見えない。もちろん音も全く違う。アタックで打楽器が弦より先に強く来ていたのが逆になるし、管楽器の中でのやりとりに耳が行きがちだったのが、弦の中での掛け合いやソノリティの違いがよくわかる。
特にこの日は(いちばん右手に配置されていて)向かい合わせのヴィオラから来る音が印象的だった。そのくぐもったような響きは「トゥオネラの白鳥」においてチェロの独奏に寄り添うようにして、霧の中の湖のような効果を上げていた。安いバランスの悪い席ばかりで聴いていて何がわかると言われそうだが、CDでは味わえない体験ができるからいいのだと負け惜しみを言っておこう。第1ヴァイオリンだけでも前の方のプルトと後ろの方では単に巧拙だけでない違いがあるし、場合によってはプレイヤーの個性や楽曲へのアプローチの違いが聞こえる。彫刻を360度、上下から舐めるようにして見るようなものだ。
目の前でプロコフィエフを聴けばさぞギスギス、ゴリゴリしたソロになるだろうと思っていたが、あにはからんやケレマンはとてもやわらかい音色でこの難曲をいとも軽々と奏でた。「現代音楽」らしさは上手にこなしていても、細く神経質になりがちなオケの方に聴くことができた。第2楽章はティンパニがお話の区切りのようなアクセントをつけるところが好きなのだが、演奏自体は他の楽章より弛緩した感じだった。
アンコールには「自分はハンガリー出身だから、バルトークのプレストを弾きます」と照れながら言って始めたが、その技巧の多彩さと緊張感に満ちた演奏はすばらしく、弦楽四重奏曲第2番を髣髴とさせるものだった。オケの女性ヴァイオリン奏者がうっとりして彼を見ているのも「わかるなー」というものだ。
さて、ラフマニノフである。なんでこのオケはしょっちゅう取り上げるのか首をひねりたくなるのだが、意外にもおもしろく感じた。第1楽章の懐かしむようなサクソフォーンと木管の主題がピアノにつながり、書いてみると常套手段的だが、いい気持ちになる。第2楽章は弓の返しのところで微妙に音がズレる。ワルツは思いきりが悪いとダメなんで、気障なくらいでないと。呼び返すような金管のフレーズがなんだか不吉な面持ちだった。第3楽章はチューブラベルズやシロフォンの音が聞こえて景気のいい音楽。民族色漂う明るさと何よりフィナーレに向かって加速していく感じがリムスキー・コルサコフを想い起こさせた。
今シーズンから1階席の前方に変わった。第1ヴァイオリンの第3プルトを目の前に見上げるといった席である。これまでの管楽器や打楽器がよく見えたコントラバスの真後ろの席とは正反対で、ほぼ弦セクションしか見えない。もちろん音も全く違う。アタックで打楽器が弦より先に強く来ていたのが逆になるし、管楽器の中でのやりとりに耳が行きがちだったのが、弦の中での掛け合いやソノリティの違いがよくわかる。
特にこの日は(いちばん右手に配置されていて)向かい合わせのヴィオラから来る音が印象的だった。そのくぐもったような響きは「トゥオネラの白鳥」においてチェロの独奏に寄り添うようにして、霧の中の湖のような効果を上げていた。安いバランスの悪い席ばかりで聴いていて何がわかると言われそうだが、CDでは味わえない体験ができるからいいのだと負け惜しみを言っておこう。第1ヴァイオリンだけでも前の方のプルトと後ろの方では単に巧拙だけでない違いがあるし、場合によってはプレイヤーの個性や楽曲へのアプローチの違いが聞こえる。彫刻を360度、上下から舐めるようにして見るようなものだ。
目の前でプロコフィエフを聴けばさぞギスギス、ゴリゴリしたソロになるだろうと思っていたが、あにはからんやケレマンはとてもやわらかい音色でこの難曲をいとも軽々と奏でた。「現代音楽」らしさは上手にこなしていても、細く神経質になりがちなオケの方に聴くことができた。第2楽章はティンパニがお話の区切りのようなアクセントをつけるところが好きなのだが、演奏自体は他の楽章より弛緩した感じだった。
アンコールには「自分はハンガリー出身だから、バルトークのプレストを弾きます」と照れながら言って始めたが、その技巧の多彩さと緊張感に満ちた演奏はすばらしく、弦楽四重奏曲第2番を髣髴とさせるものだった。オケの女性ヴァイオリン奏者がうっとりして彼を見ているのも「わかるなー」というものだ。
さて、ラフマニノフである。なんでこのオケはしょっちゅう取り上げるのか首をひねりたくなるのだが、意外にもおもしろく感じた。第1楽章の懐かしむようなサクソフォーンと木管の主題がピアノにつながり、書いてみると常套手段的だが、いい気持ちになる。第2楽章は弓の返しのところで微妙に音がズレる。ワルツは思いきりが悪いとダメなんで、気障なくらいでないと。呼び返すような金管のフレーズがなんだか不吉な面持ちだった。第3楽章はチューブラベルズやシロフォンの音が聞こえて景気のいい音楽。民族色漂う明るさと何よりフィナーレに向かって加速していく感じがリムスキー・コルサコフを想い起こさせた。
すごい耳ですね!最前列に座ったってオレにはそんなもん全く聞こえませんよ。(演奏会は暗いんで大体寝ます、で行かなくなりました。寝たらタダだって損)
CD聞いていたって、同時にまたは継起する諸パートが対話している場合とそうでない場合(楽譜をルーチン的に音にしているだけってこと?)がありますが、前者は誰の力でしょうか、指揮者が指示してる、それとも自発性?後者のように聞こえるのは私の耳が悪い?
ようわからんことばかりです。