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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

浦の十王堂

2022-08-04 23:39:29 | 地域から学ぶ

長久寺

 

石仏群

 

十王堂

 

十王

 

司命・司録

 

 伊那市長谷杉島から三峰川を渡って坂道を上っていくと「浦」である。ここも無住の家とそうでない家があり、奥まった集落の今風な雰囲気を感じる。かつては奥浦もあったようだが、昭和36年の災害で地滑りが発生し集団移住したため今はそこに家はない。現状の最も奥まったところに神社と寺がある。寺は長久寺といい、もちろん無住だ。その寺の一段高いところに十王堂がある。明かりがなく、撮影できたのはこの2枚だけであり、十王像2体と司命・司録である。

 長久寺は曹洞宗の寺で、元和元年(1615)に開創されたといわれる。伝説では平氏の残党がこの地にやってきて天台宗の寺として開いたといわれ、元和元年に高遠町の竜勝寺の末寺となって改宗した。十王は全て無銘で造立年ははっきりしないが、江戸時代中期と『奥三峰の歴史と民俗』(長谷村教育委員会 平成6年)には記されている。司命・司録は独特な彫り方がされている。足の形からして椅子に座っているように象られたものなのだろう、膝上に向かって右側の像は右手に筆、左手は帳面のような物を持つ。左側の像は巻物を持っているのだろうか。碑高40センチ、幅30センチの小さな碑である。

 長久寺の庭にはたくさんの小ぶりな石仏がたくさん並んでいる。メインは三十三観音であるが、彫りは稚拙である。

 実は杉島と浦には、さらに三峰川上流に集落があった。災害常襲地ということもあって先んじて移住した人たちもあったのだろうが、ここに「戸草ダム」というダムが建設される予定であった。そのため水没地域となる集落は移住したためか、この奥まったところにほとんど家屋はない。その戸草ダム、いわゆる脱ダム時代に中止にされ、現在に至っている。このあたりのことは、またいつか記したい。


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