先月訪問したロシアでは、師の師であるL大師匠と、旅行に導いてもいただいたT師匠の本番の演奏をかなりたっぷりと聞いた。
これはレッスン時の師匠の演示の際にも感じることだが、師匠たちの演奏にはピッチの安定や強弱のニュアンスのつけ方、はたまた音色ということ以外に、「音の力」とでも表現すべき何かがあるということをあらためて意識した。
何か、を表現することは難しいが、それは「自信」の現われ、であろうか。または、「プロとしての演奏への取組みの心がまえの違い」であろうか。誰かから「そうしろ」と、言われてそうしているのではない、体から、あるいはその精神から音楽の力がにじみ出てきてしまうようだ。特に、ホールコンサートなどでは、そのオーラが輝きまくる。
音の力とは強い音や大きな音を言っているのではない。小さな弱い音にもこめられている何かである。
この境地はプロだけに与えられるものか、これが出てくればプロになれるのか。どんな世界でも、このあたりが最終的にプロとアマを分ける大きな厚い壁なのであろう。40過ぎのサラリーマンおやじとしては、その足元にでもたどり着くべく、はるかな地平を見ながら精進あるのみ。
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