テルミンとJAZZ
テルミンやマトリョミンの話。私、こちろうこと相田康一郎のプロフィールは左メニューバーのCATEGORYを。
 



フォーリング・イン・ラヴ・イズ・ワンダフル
ジミー・スコット
ワーナーミュージック・ジャパン

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クララ・ロックモアのビブラートのことを考えながら、CD棚のヴォーカルのところに目をやっていて久しぶりに彼(Jimmy Scott/ジミー・スコット)のことを思い出し、寝ながら聞いたのはひと月ほど前になる。

そして、たまたま、「なぜテルミンを始めたのか」をあらためて考える機会(※)があり、もしかしたら、彼のヴォーカルが大好きになったことは私がその後テルミンのことを好きになる伏線のような効果があったのではないかということに思い至った。(「一絃の琴」についての記事もご参照願いたい)

ジミー・スコットはテルミンを知る少し前から聞いていた。その女性の声に聞こえる声質や、ほとんどのレパートリーがスローバラードであり、ビブラート過多なところがあるところが彼の特徴である。そのビブラートはある種の演奏者によるテルミンのビブラートにも似ているし、素直といってもよい歌声に含まれる哀愁はテルミンに相通ずるものがあると感じている。

「おじいさんであること」とか不遇の時代が長かったことなどはイメージとして、テルミン博士との共通性も思い起こさせる。この数年は日本でのブームなど輝かしい時代を過ごしているので、そこはテルミン博士とはちょっと違うかもしれない。
もしかすると、ジミー・スコット(とその歌)が好きだったことが、私がテルミンと出会ったときに深くのめりこむ伏線となっているかもしれないと考えたのは以上の理由による。

一時期、彼のことが日本でも相当なブームとなり(きっかけはテレビのドキュメンタリー番組か・・・ここにもテルミンとの共通性が。)、旧盤、新盤がどんどん出て、毎年来日してライブを精力的にこなしていた。今数えてみると私のCD棚には彼のCDが15枚ほどあった。幻の名盤もCDで再発となるに至って(上掲のCD)、一時はコンプリートコレクションに挑戦しようかとも考えたほど。ホールコンサート(新宿の厚生年金会館)や都内のJAZZクラブでのライブにも数回出かけた。

ジミー・スコットにしびれたのはその歌そのものに、であるが、長かった不遇時代や高齢であることなど、私が楽器テルミンやテルミン博士に惹かれた感覚と似ているかもしれない。そういう特殊性みたいなところにも魅力がある。

上掲CDはジミー・スコットの信奉者の一人でもあったレイ・チャールズがプロデュースし、一部ピアノ伴奏も手がけているといわれるアルバムで、契約の関係で発売後すぐ回収され、長らく世に出なかった作品である。

どれか1枚ならば、録音のよい近作が良いだろうし、内容的には古い作品にもこれ以外に良いものがたくさんあるが、2枚目、3枚目には是非これを、という私のお勧め盤である。昔のJAZZのバックのストリングスアレンジはどうしようもなく情けないものが多いが、これはマーティーペイチの筆による編曲ほかで、さほど古さを感じさせない。

(今日の記事はまさに「テルミンとJAZZ」であった。タイトルどおりの記事が書けてよかった。)


※・・・竹内テルミン研究院の月刊院報「テルミニク」の前号に私のインタビュー記事が掲載されたが、そこでの質問に「なぜテルミンを始めたか」というものがあった。


1年9ヶ月ぶりの来日!

上でリンクしたサイトにもあったが、4月29日からジミー・スコットが今度はなんと日本最高(チャージが?)のJAZZクラブであるブルーノート(大阪、東京、福岡、名古屋)を行脚するという。
CD聞いて感動した方は是非足を運んでいただきたい。

以前はもっと気軽なクラブへの出演で彼の足元2mくらいの近さで聞けたこともあった。チャージもブルーノートに比べればずーっと気楽だったのに、嬉しいような悲しいような気持ちである。


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