午前中、オプション(10,000円/人)でベルサイユ宮殿を見学した後、午後はフランス新幹線に乗ってパリのリオン駅からスイスのジュネーブまで移動です。ここリオン駅はパリから南東に向かう列車の始発駅になっています。
フランス新幹線TGVは、日本の新幹線とは一味違う斬新なデザインでした。出発前にお登りさん定番の記念撮影です。衣装が前回(-その6-)と変わらないのは、たった午前と午後の違いだけだからです。
フランス新幹線TGVは時速270km/h、ジュネーブ(コルナバン駅)まで約4時間の旅でした。移り変わる車窓の風景も素敵でしたが、ラウンジで生ハムを肴に飲むワインの味は格別でした。
ジュネーブは単に通過点、コルナバン駅からバスに乗り一路シャモニーを目指します。途中、レマン湖の大噴水が私たちを迎え、また見送ってくれました。
シャモニーの宿は一見山小屋風、照明もロウソク風でムード満点です。明日はいよいよモンブランに会いに行く日です。ワインの力を借りて早めにベッドに潜り込みました。
ここでシャモニーとモンブランの位置関係を確認しておきます。シャモニーは標高1030mですが、ここはらケーブルカーを乗り継いで、エギュイュ・ドゥ・ミディ3842mまで登ります。ここから遥か向こうに聳えるモンブラン(4807m)を展望するのです。
ここがケーブルカーの乗車駅です。私たちツアー客の他は、ほとんどがスキー客ですた。エギュイュ・ドゥ・ミディからここまで滑り降りたとしたら標高差2800m有りますから、さぞかし滑り応えが有るでしょう。中にはイタリヤ側に滑り降りるスキーヤーもいたようです。
ケーブルカーは一旦途中で乗り継ぎますが、トータル2800mを約30分かけて登ります。
ここがケーブルカーの終着駅エギュイュ・ドゥ・ミディの展望台です。360度の展望は筆舌に尽くし難いものがありました。早速モンブラン山系を背景に記念撮影を撮りました。
モンブランの山頂は、私の宝物「モンブランの万年筆」のキャップに良く似ていましたし、ペン先に刻印された「4810」の文字で、その高さはここに来る前から知っていました。
( 先程のパンフレットには、標高が4807mになっていましたが、3m程崩れたのでしょうかね?)
これは展望台で一緒になったスキーヤーのカップルです。私たち夫婦と違って、とても様になっていました。これからどちらに向け滑り降りるのでしょうか? フランスでしょうか? イタリアでしょうか? それともスイスでしょうか?
これがモンブラン山系の全体像です。3枚の写真でようやく納める事ができました。
これはケーブルカーの降りで撮ったシャモニーの街です。そのほとんどが山岳関係の観光で成り立っているようです。
やっとケーブルカーの始発駅にたどり着きました。この時間になると朝のラッシュが嘘の様に静まり返っていました。周囲にあるのがスキーを立てかける設備(器具)ですが、この時間は1本も有りませんでした。
午後はイタリヤへ向けて出発です。昔は山越えに多くの時間を費やしたようですが、1965年に開通したモンブラントンネル(全長11.8km)を潜れば、その先はもうイタリヤです。トンネルの入口にトンネル開通の記念碑が建っていました。
後日談:
1999年にこのトンネル内でトラックの燃料漏れから火災が発生して、死者39名、負傷者27名と言う大惨事が起きたそうです。2国で管理していたため連携の拙さが大惨事に至ったとか・・・
他人の旅行記なんで面白くも何とも有りませんのに、辛抱してご覧頂いた方に感謝いたします。いよいよ次回はローマに移ります。
鉄チャンならシンプロン4363トンネルでイタリア入りといきたいところですね。
なるほど、2年に1回標高が変わる可能性があるのですね。でも私の心の中にあるモンブランは永遠に4810mであり続けるでしょう。
私は鳥取県の大山の麓で育ち、大山(弥山)の標高はず~っと1713mと覚えていましたが、最近では1709mと4メートルも低くなってしまいました。土砂の崩落で山頂標識を移動せざるを得なかったせいですが、故郷の山が低くなるのはとても悲しいことです。
当時私は鉄チャンではなかったので、シンプロントンネルはその存在すら知りませんでした。今だったら是非寄って見たかったですね。
花咲爺さんは登山がお好きですから本来なら一般のツアーでなくシェルパを伴った登山を試みたかったのではないでしょうか。心の奥底に秘めた夢を私は見抜いてしまったような気がしています。
やっとTGVが出てきました。海外で列車旅行をするのはきっと素晴らしい経験をされた事でしょう。今回もそうですがだんだんと人物が写っている写真が多くなってきました。やはり旅行は人ありきと言ったところです。前にもお話しましたが旅行先の写真は、ガイドブックやパンフレットでは決して味わえない何かが毎回のブログ写真に見ることができ私自身はこのような連載を続けてくださる事に心から感謝しています。
ただ日本と違うのは、幾ら技量があったとしても単独では登山許可が出ず、必ず公認のガイドを雇って登る事になります。もう相当前の事になりますが、癌の宣告を受けた日本人の方達が、ガイドを伴ってモンブランに挑戦した事がニュースになった事があります。
Railtruckさんご指摘のシェルパの件。シェルパとは元々ヒマラヤの少数民族の名称だったようですが、ヒマラヤのガイドをする人が多く、シェルパと言えばヒマラヤの現地人登山ガイドを差す様になったんだそうです。