月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

まどかなお月さまのはなし

2011年02月21日 21時38分25秒 | ふうわりふわり(坊守日記)

三日前の夜のことです。

外が明るいことに気づいてベランダに出てみると、

夜空の高いところに、まんまるお月さまが輝いていました。

過不足なくまどかに満ちて、それはそれは清かに照っていました。

 

しばらくお月さまを見上げながら、そのお月さまの中に愛しく、懐かしい人たちの顔を重ねていました。

「会いたいなあ」「触れたいなあ」「声が聞きたいなあ」と、どんなに手を伸ばしても、お月さまには届かないけれど・・・

闇の中に佇むわたしを、そのひかりの真ん中につつんでくれているという安心感をたしかにいただきました。

それは、いつでも、どこでも、このまんまを照らし、つつんでくださる阿弥陀さまのおはたらき・・・

 

さて、昨日のことです。

関西にお住まいのご門徒さまとメールでお母さまのお年忌のご法事の打ち合わせをさせていただいた折に、

あのまどかに照るお月さまに、生前ずいぶんとお世話になったその方のお母さまの、本当にやさしい笑顔を重ねました・・・と送ると、

お返事に、「私も先日の満月に母の笑顔を思い出し、会いたいなあと思いました」と綴られていました。

それぞれに違う場所で、ひとつのお月さまを見上げながら・・・思いもひとつ・・・だったのです。

それに、重ねて言うならば、そのお月さまは娘さんもわたしも等しくそのひかりの中に照らしてくださっていたのです。

なんともこころがほっこりしたことです。

ありがたいなあ・・・

やさしいなあ・・・

ほとけさまって・・・

 

 


評価之目

2011年02月21日 20時11分08秒 | 仏々相念(住職日記)

気になるよな~・・・

 

気になりませんか、人の目。

知らないうちに知らないところで評価されているのです。

そんなこと思うとしんどくなるのですが・・・

だから私は外面を飾るのです、顔を引きつらせながらも・・・

少しでも良く見せよう・・・「私ってこんなに優しいのですよ!」って腹に鬼を抱えながら人前に座ります。

 

本願寺新報を読んでいますと評価されて生きる子どもたちのことを法話で書いておられました。

「なるほどな~、分かるよな~・・・」

子どもたちはずっと評価されて育っていきます。

親の目、先生の目・・・気にしながら育つのです。

その結果、「おれ、生きていていいんだ」って思っている子どもって30%だとか・・・

何のために生きているのか・・・

親や先生の操り人形のようになってしまっている現実にしんどさを覚えるのでしょうか・・・

大人になってもそうですね、職場で評価されていきていきます。

ず~っと、ず~っと・・・

 

仏さまは評価なさいません・・・

良い子であろうと悪い子であろうと一人子の如く抱きしめていてくださいます。

ず~っと、ず~っと・・・

だから畏まる必要もないのですよ。

楽~に楽~にさせていただきましょう・・・

 

でもそこに気付かせていただくと大切にせずにはおれなくなります。

かたじけなさいっぱいで、頭の下がる人生にならせていただくのです。

鬼を抱えたまま・・・

 

頭を下げるのではなく、頭が下がる人生・・・

 

あなたの人生、どんな人生・・・?