タイムマシーンというものがあるのだったら、13歳の岡本少年と21歳の岡本青年が、今押しかけてくるだろう。
彼らは言うだろう。
「お前も歳をとったな!!なに夢オチで終わらせようとしているんだよ!!」と。
「夢オチ」・・・それは物語を夢だったと終わらせるという、やんわりとしてそれでいて当たり障りのない終わりかた・・・。
僕がまだガラスの10代だった頃。「ハイスクール!奇面組」という漫画があった。
それの最後は、ヒロインが見ていた夢で「奇面組」という人物達は、夢の中の人物であったという終わりであった。思春期真っ盛りの僕としては納得のいく終わりではなかった。そして憤りを感じた。
大学生の頃に見た映画「きけ、わだつみの声」は緒方直人演じる明大のラグビー部員が見ていた夢であるというオチだった。悲惨な戦争の描写と、そこに描かれていた主人公らの青春が夢で終わらせるのはいかがなものかと、これまた憤りを感じた。
「夢オチはいかん」
先日のブログで僕は寸劇「税活のスパイラルで日本の夜明け」を勝手に「夢オチ」にさせてしまおうとしていた。
これはいかん。オペラでもミュージカルでも、有馬さんや「チョースさん」やオサダさんを宙に吊ってでも夢の続きを見続けなきゃいかん。
それは冗談として、まだ僕らは言うならば「夢の途中」なのであるから、醒めちゃいかんということですきに。