地域で活動しているグループが市民館ホールでカフェを開きました。
地域交流の場として、カフェが流行しております。
グループ交流する機会があって、参加の招待を受けました。
カフェ形式の交流会参加は初めてです。
その円陣の中に入ることすれ、躊躇している有様です。
「トークワーク」が「地域でいきいきと生きるとは」
「哲学カフェ」です。
大学で哲学を教えている先生が、「哲学カフェ」のリーダーです。
決め事があります。
〇自由に話すこと
更に、3っつの条件が付きます。
〇人の話を聞くこと
〇自分の言葉で話すこと
〇自分の考えは変わることがある
「哲学」というだけで難しい概念と思い込みがちです。
「あなたの、地域でいきいきと生きるとは?」
70代、80代のシニア世代が30人ほど、参加してます。
シニア世代をいきいきと生きている現状報告が積極的に発表されます。
私もその中の一人になりました。
70年、80年間生きてきて、辿り着いた生き生きとした日々の実態。
発表者の貴重な体験談には、地域でいきいきと生きるコツが秘められております。
「それは、それとして、貴方の地域でいきいきと生きるとは?」
リーダーの突込みが加わります。
「あれ!ちょっと、トークワークの捉え方が違うんじゃありませんか?」
後期高齢者をの前に、「地域でいきいきと生きるとは」哲学論は無いでしょうに。
今、現実に地域でいきいきと生きている事が、本物の人生哲学です。
勇気をもって発表された体験談の数々、多くの共感を呼んでおります。
「地域でいきいきと生きる」ためには、地域交流コミュニケーションが
必要不可欠です。
それは一夕一朝で出来るものではありません。
「地域交流コミュニケーション」理論で理解できても、実践を伴わないものは空論です。
今日の「哲学カフェ」で物足りなさを感じたのは、折角貴重な実践体験談の発表が
ないがしろにされたことです。
「今、こんなに素敵な生き方こそ、それなのよ!」それが回答です。
それ以外に、応える回答はありません。
今日の講師、若すぎた。
学生を対象に哲学を講義している感覚では、この哲学カフェへの参加者も増えはしないでしょう。
そんな感想を込めて、グループ討議のまとめを発表する事になった。
地域社会での健康長寿、そのための日々の積み重ねに哲学は必要でしょうか?
哲学を学ぶには、ちょっと遅すぎた感じ。
己の人生哲学を変える気は、更々ない頑固者になってます。