日々是好日

今日も晴天なり。
どんな日でも、毎日は新鮮で最高にいい日だと思うことにしてます。
ご一緒に如何ですか?

昨日の事

2018-02-08 13:15:09 | シニアライフ

「話下手、どうなるでしょう?」

如何だったのか、昨日の事です。

地区健康福祉センター主催の「健康づくり推進連絡会議」での

公園体操ボランティアとしての地域活動における報告です。

所定時間内に用意した報告原稿を朗読する形で

無難に終える事が出来ました。

以上ですと、報告を締めくくった間際に

事務局担当の保健士さんが、私の側に来て

「もう一つのエピソードを報告して!」と頼まれました。

事前打ち合わせの時、持参した報告原稿以外の、番外編でのエピソードです。

「それから、こんなこともあったんだよ!」と打ち解けて話し込んだ事です。

説明報告をを了承したものの、さー大変!その原稿が手元にありません。

原稿を書いているとき、ストーリーの推敲は出来上がってます。

その記憶を辿りながらの報告となりました。

「どんな内容だったの?」の質問にお応えします。

・・・・・

「更なるエピソード」

夏休み期間中の早朝の公園体操に自主的参加の女子児童の一人と交流エピソードです。

小学校低学年生です。自分の孫と同年代でと思います。

「もう直ぐお盆だね。田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの処に遊びに行くの?」の会話に

「ううん!おじいちゃん、おばあちゃんいないの」悲しい返事。

「悲しい事、聞いてごめんね! 良かったら、これからあなたのおじいちゃんになってあげようか?」

半信半疑の顔がそこにあります。

そして、翌朝の事です。

おじいちゃん、だっこ!」と言って駆け寄ってきました。

きっと、昨日の事、お母さんにお話した事でしょう。

日頃、おじいちゃんして貰いたいこと「だっこ」です。

お母さんのお許しが出たのでしょう。

多くの公園体操の仲間で、その事情を知っているのは私だけです。

両手を広げて、その子を受け止めてあげました。

「お孫さんですか?」いろいろな方から尋ねられます。

満願の笑顔のその子の一瞬を、女性写真家が逃しませんでした。

翌日、その子にその女性写真家から素敵な写真がプレゼントされました

そして、更に感動が続きます。

その子の夏休みの自由課題の作文が

「夏休みの思い出、わたしのおじいちゃん」 あの時の写真が貼付されてます。

先生の添書きが「良かったね!」と書き込まれております。

私だけにと、そっとお披露目してくれました。

未だに、その感動が忘れられません。

・・・・・

何となく、絵本を読んでいるような気持でした。

多くの拍手を頂きました。

 

 

 


話下手、どうなるでしょう!

2018-02-07 07:03:25 | シニアライフ

「いつもお世話になってます。

健康づくり推進連絡会議について、活動の報告を

お引き受け下さり、ありがとうございます。」

地区保健福祉センター主催の「健康づくり推進連絡会議」の開催通知に

地域担当の保健士さんの添書きです。

どういうわけか、その会議のメンバーに公園体操ボランティアとして、ノミネートされてます。

風の便りに、地域でこんな人がいますよって、知れわたったのでしょうか?

そこに集まる人々は地元の健康づくり関連諸団体の代表者たちです。

団体所属なしの一市民に過ぎないボランティアは、私だけです。

この会合、第2回の開催が今日の午前中です。

保健福祉センターの集団教育ホールで

ワールドカフェ方式での意見交換が予定されております。

その冒頭での基調報告を託されたのです。

「地域づくりに関連した取り組みについて」が題目です。

私に与えられた所要時間は10分間です。

人前で話すことは、大の不得意とするところです。

想像するだけで、ドキドキハラハラしてきます。

しどろもどろにならないように、報告内容を原稿に纏め上げ

何回も推敲を繰り返し、朗読を繰り返し、発表の練習を重ねました。

今朝も、公園でのラジオ体操を終えて、脳裏もすっきりしたところで

最後の練習です。

一人で練習しても自信に繋がりません。

忌憚のないご意見の持ち主である家内を前に、発表のお披露目です。

この方、一つだけ欠点があります。

発表の途中で、問題個所を指摘する癖がある事です。

本人は至って、親切心と思ってます。

私は、報告のための原稿を全部読み終わってからにしてよと、思ってます。

何処まで行っても、ボタンの掛け違い夫婦です。

それでも、一通りの予行練習終了です。

さて、本番はどうなることでしょう。

未だ、不安は解消されてません。

活動報告内容は、公園体操を通じての地域づくりの事です。

ラジオを一つ持参しての公演体操を開始してから6年の月日が経ちました。

その間のいろいろな取り組みの事例を紹介しながら

その背景にあるものを読み取ってもらう、構成になっております。

ここでは、その結論箇所だけ書き留めておきます。

「人と人との心のふれ合いを大切に、細やかな感動でも、仲間たちと共有できる

環境づくりこそが、地域づくりの基本だと思って、日々の活動を続けております。」

さーて、どうなることでしょう?

「あなたの背景には、公園体操の仲間が応援してますよ!

顔見知り合いの仲間に話しかけているつもりで、報告したら!」

強力な助っ人のアドバイスです。

ちょこっと、不安が解消された感じがします。

 


ぶらっと人形町

2018-02-05 23:32:30 | シニアライフ

「ぶらっと東京街歩き」は回を重ねて、124回。

毎月、家内と一緒に参加しております。

ふれあい。発見、四季めぐりです。

今回のツアーは「ぶらっと人形町」です。

老舗・歴史の舞台と裏小路を巡ります。

ツアーコースの紹介です。

十思公園(石町・時の鐘、松陰辞世の句碑、

小伝馬町牢屋敷展示館)⇒ 馬込勘解由屋敷

室田稲荷神社(ばったら市)⇒ 小竹大日如来の井戸

小津紙店資料館 ⇒ 人形町芝居小屋跡 ⇒ 玄治店跡

神社仏閣諸々 ⇒ 小菊通り

西郷隆盛屋敷跡 ⇒ 谷崎潤一郎生誕地 ⇒ 甘酒横丁 ⇒ 水天宮

盛りだくさん、詰め込んだツアーメニューです。

そして、昼食はロイヤルパークホテルの「シンホニー」での懇親会。

仲間達との楽しい一時を過ごします。

実は、この街、「水天宮」昔からお世話になっております。

そして、孫達が暮らしている街です。

親しみが沸いてきます。

それでは、行って来ます。

 、、、、、

行って来ました。

いろいろな歴史の舞台を散策しました。

NHK大河ドラマの「西郷どん」の出世後の東京の屋敷跡

地元の小学校の敷地になってました。

西郷隆盛は西南の役で賊軍の汚名を着せられて、

歴史建造物はありません。

校舎の敷地の公道に面して、その屋敷跡の解説の立て札があるだけです。

上野恩賜公園の銅像しか知らない私にとって、新発見です。

春日八郎のヒット曲「お富さん」の歌詞の中の「玄治店」

何も知らないで、口ずさんでおりました。

その根拠を知ることが出来ました。

「玄治店の跡」

徳川3代将軍家光の時代、幕府の医師だった岡本玄治の拝領屋敷に

貸家を建て庶民に貸していたことから、玄治店と呼ばれたようです。

玄治店の名は歌舞伎「与話情浮名横櫛」の「源氏店(げんやだな)の場」の舞台となり

その名を広く世間に知られるようになったとの事です。

そして、人形町の由来も学びました。

散策中のおやつに配られた「たい焼き」、とても美味しかった。

 

 

 


活動報告、頼まれました。

2018-02-05 13:02:38 | シニアライフ

地元区役所の保険福祉センターの地域支援担当から

「地域づくりに関連した取り組みについての活動報告」を

頼まれました。

その地域支援担当が主催する

「健康づくり推進爛落会議・食育推進分科会」での報告です。

地域でいろいろ活動している諸団体のメンバーが参集しております。

ワールドカフェ方式での「今後の活動についての意見交換」があります。

その冒頭での基調報告になりそうです。

その会合を2日後に控えての、担当者との打ち合わせです。

所要時間10分間に折り込んだ活動報告の原稿を持参しました。

担当の保健士さんは、どんな報告内容になるのか、気掛かりです。

事前に連絡して、報告内容を検証してもらう段取りを付けました。

報告内容は、至ってシンプル。取溜もなく日々の出来事を羅列したものかもしれません。

担当の保健士さんに、原稿を手渡すだけだと思っていたら、

延々と1時間20分も話し込んでしまった。

私が自慢話をして、居座ったのではありません。

若い担当の保健士さんが、聞き上手で、報告者の活動経歴を

漏れなく把握に努めているのです。

地域包括ケアシステムの推進普及部署の責任者です。

役所のワークデスクだけでは掌握出来ないものが、私の報告原稿に秘められているようです。

世の中至る所が、縦割りの仕組みで構成されております。

横の繋がりが欠落しておる有様です。

誰もが横の絆を構築した地域交流を望んでおります。

如何すれはそれが出来るのか?

皆、難しそうで諦めているのが実情です。

そんな状況を踏まえて、直近の事例を紹介してあります。

それらは、一夕一朝にして出来上がったものではありません。

毎朝、欠かさずに公園でのラジオ体操に通い

毎日挨拶を交わす顔見知りを作り、仲間との交流する喜びを

皆が共有するようになった土台があったからこそ出来上がったものです。

細やかな感動でも、仲間と一緒に共有する事に生き甲斐が生まれます。

こらは、年寄りにならないと分からない事かもしれません。

まだ年寄りではないので、より年寄りの方に聞いた話になります。

どんな活動?

別段、特別な事はやってません。みんなが心に仕舞い込んでいる事を

ちょこっと実現しているだけです。

いろいろありますので、一つだけ紹介します。

夏休み期間中の子供たちの公園でのラジオ体操、その実施期間が

近年短縮傾向にあります。世話をするお母さん達も働いているからです。

でもね、同じ場所で朝の公演体操をしているのに、私達は私達って感じ。

子供会のラジオ体操実行委員の方々の姿勢です。

縦割りの構造です。

「引き続いて、一緒にやりませんか?」

「何か、遇ったらどうしてくれるんですか?」

リスク管理が先行したご意見が飛び交った時もありました。

あっけにとられて一年無駄に過ごしました。

今年の夏こそ、何とかしなくてはと、活き込んで、

子供会会長を通じて、子供会主催の公園体操の期間終了後、その父兄に自主的参加を促しました。

早朝の公演体操に10組の親子が自主的参加をしてくれました。

そして3人の女子児童が夏休み終了後、11月末まで参加が続きました。

そんな中からエピソードが生まれました。

女子児童が通う小学校の課外活動の宿題がありました。

「おじいさん・おばあさんの子供の頃の遊び」に関する聞き取り調査です。

その3人の女子児童が学友を誘って、早朝の公演体操に出向いて、

皆と一緒に体操を終えた後、聞き取り調査開始です。

喜んだのはおじいさん・おばあさんです。

70年前の懐かしい記憶が蘇ります。後は想像にお任せしますが、

大変微笑ましい孫の世代の子供たちとのコラボがありました。

まだまだ続きがありますが、・・・

 

 

 

 

 


懐かしい、餅まき。

2018-02-04 10:56:11 | シニアライフ

ya昨日の節分の事です。

近所の馬絹神社の豆撒きに家内と一緒に、初参加しました。

地域では恒例行事で、賑わっております。

「節分の豆撒き」、炒り豆を撒かれるものと思ってました。

ところが、紅白のお餅が沢山撒かれたのです。

これには、びっくり!嬉しさも倍増です。

無我夢中で、福拾いをしました。

その成果品です。

これ、殆ど私の福拾いです。家内は、炒り豆3袋。でも貴重なご縁玉は家内の福拾いです。

紅白の福拾いのお餅、ちょうど末広がりの数です。

懐かしい、餅まきが蘇ります。

郷里での新築棟上げ式には、必ず餅まきが伴います。

村中の子供も大人も、皆楽しみにしている事の一つでした。

懐かしい思い出があります。

村の分校場が独立して、新校舎が建てられました。

その棟上げ式の餅まきの時のことです。

その頃、ガキ大将です。遊びと言ったら野山を駆け巡ること以外ない時代です。

山猿の子猿と変わりありません。

餅まき広場に、グランドで使用する石灰で、白い円を作り

幼い仲間の一人ひとりの陣地を作りました。

決して、他人の陣地には入らない事が鉄則です。

自分たち、高学年は大人と一緒に餅拾いです。

ガキ大将として、その陣地内に餅が撒かれるかどうか、不安があります。

餅まきの際の餅拾いには、決して上を見ない事、しゃがんで自分の陣地の地面を見つめている事。

そうしていると、その陣地内に福が舞い込んできます。

そんな事を、幼い仲間に説いて聞かせたことが、あったような記憶があります。

棟上げ式の高台から、先生や大工の棟梁の叔父さんが

思いっきり掴んお餅をそれらの陣地に投げ込んでくれました。

幼い子分たちには、一生の思い出になっているようです。

あの時の感動が忘れられずに、都会の同村会に参集した折、話題になります。

それは、60年前の出来事です。

馬絹神社の節分豆撒き会場に参集した人たち、皆総立ち。視線は遥か舞台上。

近くの子供たちに福拾いのコツを伝授。

60年前のガキ大将に立ち返った気持ちです。

半信半疑の顔がそこにあります。

でも素直に聞き入れた子ども達、沢山の福拾いが出来ました。

一つだけ、心残りがあります。

一緒に行った家内に、その秘伝を伝授しなかった事です。

紅白の福拾いのお餅、家内と一緒にじっくりと味わいたいと思います。