この間の
おでかけのとき、偶然、駅で、卒園児のオカアサンにお会いしました。
ねえねが担任をしていたとき・・・かれこれ・・・10年前かな?の保護者です。
卒園後も、いつまでも気になって仕方なかったTクン。
というのも、Tクンは、ねえねが、年中・年長と2年担任しました。
年中からの入園で、双子ということもあり、体は他児に比べるとかなり小さく、何をするにも“オドオド”とし、集団生活に慣れるまで、かなり時間がかかりました。
また、運動面や指先を使った活動は、どちらかというと苦手なことが多く、配慮がかなり必要な子どもでした。
ねえねはねえねなりに、そのときは一生懸命“ハサミ”や“ノリ”の使い方を教えたり、遊びに参加しやすいような環境を作ったり・・・と、いろいろとしてきたつもりでした。
しかし、卒園し、巣立っていくTクンを見送ったとき、本当にそのようなかかわり方でよかったんだろうか?Tクンにとって幼稚園生活って楽しかったんだろうか?といろいろなことを思い、考えたのでした。
そんなねえねの気持ちを知ってか?知らずか?オカアサンは、
『Tは、今はこんなんですが、きっとなにかすごいものを持っていると思うんです!
私、これから学校に通って、Tのことを論文に書けるようにしますね!
先生には本当に大変な子をみてもらって感謝しています!』ときっぱりとお話され、ねえねに2年間の感謝を述べられました。
でも、ねえねは、その言葉が・・・素直に喜べず、“モヤモヤ”したものが心に残っていました。
理由はいくつかあります。
心の中で“オカアサン!自分の勉強をする前に、Tクンをしっかりとみてあげて!もっとしっかりとかかわってあげて!”と思っていたのに、“論文に書く”といわれ、何もいえなくなってしまった自分の不甲斐なさ。
しかし、5年目だったし、それなりに教師として力量で“こなさせた”(上手ないい方ができませんが・・・)部分があったんではないか?でも、それでよかったのか?という気持ち。
言葉は悪いですが、Tクン自身でできるようにと思ってかかわったつもりが、ただ単に“やらせていた”のではないか?と後ろめたい自分がいたのも事実でした。
そして、腰を悪くし、Tクンを送り出したと同時に園を退職し、別の園で配慮の必要な子どもとかかわる仕事をするようになり、その気持ちは益々強くなりました。
子どもひとりひとりが違っていていいはずなのに、できない部分だけをみて、“できることがいいことだ!”と思い込み、“できるように!できるように!”とさせていただけではないか?と。
教師の力量として勘違いしていたのではないか?と。。。
その後ろめたい気持ちもあり、気になっていたので、小学校の授業参観や運動会をみに行ったり、中学校へ通う様子をみかけるたびに、心の中で“頑張って!”“大丈夫かな?”とTクンと会話していました。
もちろん、今でも年賀状のやりとりはしてはいるものの、Tクンの本当の心、気持ちは・・・正直、わからないままでいました。
そして、今、Tクンは高校生になり、園の前を通って、高校へ通う姿を一度だけみかけました。
そんな話をオカアサンにしていると、
『先生、あの子、未だに学校が嫌だ!とはいたことがないんです。
幼稚園からね!それだけでもよかったなぁと思うんです!』と。
そして、今は、小学校の補助教員をされているオカアサンが、1年生の補助をされていて気が付いたというお話をしてくださいました。
『先生、今の1年生は自分の名札を学校から帰るときは自分ではずして帰るんですよ!
でも、Tの行っていた小学校はそんなことしなかったんで、Tが安全ピンを自分ではずしたり、つけたりできないなんて気付きもしなかったんです。
気が付いたのは中1になってからですよ!
もう、ビックリしました!
それから教えましたもん!
でも、なかなかできなくってねぇ。。。(笑)
でもね、私、思うんです。
あの子にはあの子のペースがあって、そこに気が付かなかったていうのは私の責任でもあるんですけど、あの子に小1で安全ピンのつけはずしをさせてもできなかったと思うし、そのことが嫌で、学校に行きたくないなぁっ~ていたのかもしれないなぁと思ったんです。
ほんと、今頃気が付いて遅いんですけど。。。』と。
ねえねも、卒園後の思いを少し話させてもらいました。
『私も、K幼稚園でいろいろな子どもに出会い、Tクンとかかわった2年間、本当にあの保育でよかったのかな?とか、もっと、こうしてあげたらよかったなぁとか、Tクンの心や気持ちにもっともっと寄り添ってあげるべきだったんじゃないかなって思っていたんです。
でも、学校へ行くTクンの姿をみかけるたびに、内心“ホッ”としていました。』
それを聞いたオカアサンは、
『園で2年間先生にお世話になって、本当にいろいろとできないことが多い子で、それでもしっかりかかわってもらって、Tにとってはよかったと思います。
TにはTの大きさの器しかないんで、そこにどれだけ入れても溢れるでしょ!
それを先生は入るだけは入れてくれはったと思うし、十分でしたよ!』と笑ってお話してくださいました。
そして、最後に、
『気付いたのが中1で遅かったけど、“安全ピン”のおかげで、あの子のそういうことを気が付くことができて、本当によかったです!』とお話され、ホームに電車が入ってきたので別れました。
保育や子育てに“これでよかった!”という100%の答えはないと思います。
でも、Tクンが嫌がらずに園に来てくれていたこと、そして、今になってみてわかったことなど、そのときは本当に一生懸命に考え、悩み、でもうまくいかなかったり、自己満足的な保育をしたり・・・と、ただただ、ガムシャラなときもありました。
それを振り返り、反省し、次の保育に生かしたり、やっぱり自己満足的な保育になったり・・・とその繰り返しの日々です。
でも、こうやって、10年ぶりにオカアサンに再会し、内心“ホッ”とした気持ち、そして、“ほんわか”としたあたたかな気持ちに出会えたことで、ねえね自身が救われたような気がします。
ねえね、“先生”と呼ばれるようになって、ひとつだけわかったことがあります。
それは、“先生”は子どもたちの“1番の理解者・味方”であるということ!
おうちのオトウサンやオカアサンには、到底かなわないかもしれませんが、社会の中の、子どもたちの“心”の“スーパーウーマン”であり続けたいと思います!
そして、ねえねは今日も頑張って働くのである!
保護者との再会で、ねえね、改めて、この仕事が大好きだなぁと思えたのでした!
ピアノさえ弾けたらなぁ。。。もっと、もっと、好きなのに。
まぁ、ピアノが苦手なスーパーウーマンも有り!ってことで!
ちょっと真面目なお話でした。