“きょゆーん ワンワン きょゆーん ワンワン
ろくべえが あなにおちているのを
さいしょにみつけたのは えいじくんです”
ねえねが、小学校1年生のときに、この“ろくべえまってろよ”を何度も、何度も、声に出して読んだことを思い出します。
ねえねは、国語が(というか、本を読むのが苦手でした
)嫌いで、ここにでてくる“ろくべえ”も、ずっ~と“くろべえ”と読んでいて、かあかに、
『また、間違えて。。。』
といわれ続けましたが、本読みのときの、
『ろくべえまってろよ。灰谷健次郎。』
というフレーズは、今も心に残っています。
その後、ねえねは、灰谷健次郎サンの本に、高校3年生のときに出逢いました。
高3の夏休み。
進学に向けての講習会におともだちと参加していました。
家に帰っても暑いし、ひとりで勉強する気にもならないし・・・というので、高校で唯一、クーラーが付いている場所→“図書館”に行くようになっていました。
図書館では、息抜きをしに行っているようなもんで、特に何をするでもなく、おともだちと一緒にいることで、現実逃避をしているような・・・受験生にとっては無駄な時間だったのかもしれませんが、ねえねたちにとっては、とっても大切な時間でした。
そんなとき、何気に手に取った本が“灰谷健次郎サン”の作品でした。
最初は、“懐かし~い”という感じでペラペラと本のページをめくっていたのですが、気が付けば、本の世界にのめり込み、毎日、毎日、講習後は図書館へ行き、灰谷健次郎サンの本を読みあさっていました。
そのころ、ねえねは“教師”という職業に憧れていました。
“数学の先生”“理科の先生”“家庭科の先生”“体育の先生”そして・・・“幼稚園の先生”と夢いっぱいの高3少女でした。
でも、現実的に受験を控えてくると、自信もなくなってくるし、不安でいっぱいになってきていました。。。
“自分の人生、これでいいのかな?”“どうなるのかな?”と。。。
そんなときに、灰谷健次郎サンの“兎の眼”を読んだとき、なぜか、泣けてきて、とても感動したのです!
(本を読んで感動したのは、きっと、生まれて初めてだったと思います!(恥ずかしながら
))
そのとき、ねえねは、“どの教科の先生でもいいから、こんな風に子どもの気持ち(心)を理解し、大人のものさしで考えるのではなく、大切に心を育てていくことのできる先生になりたい!絶対に!”と強く決意したのであります。
しかし、幼稚園の先生を目指して短大に入学したものの、ピアノがどうしても弾けずに涙したり、実習でうまく保育ができず、先生にぼろかすにいわれ、辞めたいなと思ったり、実際に幼稚園の先生になっても、目先の行事にばかり目が向き、日々の保育を疎かにしていたり。。。と。。。。
今、思えば、あのころの“先生になりたい”と思っていたねえねとは・・・全く違った先生をしていたように思います。
11月23日。
灰谷健次郎サン。72歳。
亡くなられました。
ねえね、数年前、灰谷健次郎サンの講演会に足を運んだことがあります!
ずっと、“どんな方なんだろう?”と思っていただけに、期待大でいったんですが、飾らず、気取らず、それでいて・・・温かな先生でした。
いろいろな本に登場してくる先生たちのひとり!という感じで、出逢えたことがとてもうれしかったことを思い出しました。
私の保育の原点でもある“兎の眼”の作家、灰谷健次郎サンの死は、今、自ら命を絶っていく子どもたちへの何らかのメッセージであるかのようにも思えてしまうのです。
保育、教育の原点。
子どもの心に寄り添いながら・・・を大切にしてこられた灰谷健次郎サンに、一歩でも近づけるような、ねえねなりの保育をしていくことができればいいなぁ・・・と、少し立ち止まって考えるいい機会になりました。
灰谷健次郎サンのご冥福をお祈りいたします。