西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

毎日喋った4時間半

2010年05月02日 16時52分00秒 | ステンショから
 JR予讃線(瀬戸大橋線)「高松(たかまつ)」駅。




 初めてこの駅に降り立ったのは、1996(平成8)9月15日。開局前のコミュニティFMラジオ局が全国公募した、パーソナリティのオーディション会場へ向かった際。その時が、初めて香川県を訪れた機会でもあった。

 その後9月中には、オーディション合格の連絡が入り、10月半ばには高松市内のワンルームマンションに移り住む。
 12月に病気で入院して、新年を病院のベッドで迎え、1月5日退院。

 そして1月の25日に放送開始。
 毎朝まだ暗い6時には出勤し、7時から2時間の生放送。休憩と次の準備の時間を挟んで、11時半から今度は2時間半の生放送。
 その他にも、他番組の構成演出やらCM制作やら若いスタッフの指導やら……、とにかく忙しい毎日を過ごしていた。

 メシはと言うと、毎日のように讃岐うどんを食い、たまには川沿いに何軒かあった鰻屋で、滋養を確保した。


 3月、自らクビとなって4月初めに帰阪するまで、およそ半年間という短い期間であったが、恐らくこれまでで一番忙しく、一番充実した毎日を過ごしていたであろう、そんな私の思い出がいっぱいに詰まった、高松である。

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