近鉄京都線「伊勢田(いせだ)」駅。

1973(昭和48)年5月27日が、唯一この駅を利用した日である。
京都山科にいた頃、近所に住んでいた友達のH君が、小学校4年生の終わりに引越し、転校した。
それから2年余り。中学1年生になった同じ近所の友達同士で「H君に会いにいこう」という話になり、5月の最終日曜であり、またH君のの誕生日でもあったこの日に、友達4人でお宅を訪問したのが、確かこの日であった。
その日は友達5人で旧交を温め、夕方にはまた4人連れだって、帰路に就いた。
電車やバスを乗り継ぎ、あとは徒歩。そして我が家までもう5分程度で到着という所で、どこからか子猫の鳴く声が聞こえてくるのに気付いた。
我が家では、私が小学校1年生から6年生まで、何匹か猫を飼っていたのだが、丁度その頃、我が家所属の猫は1匹もおらず、いささか寂しい思いをしていた時期だったので、ふいに聞こえてきた子猫の声に、私は過敏なぐらいの反応をしてしまっていた。
よく耳をすませて聞けば、子猫の声は道路から少し高い所を流れる、用水路の土手の、草むらの中から聞こえてくる。どうやら子猫は草むらの中にいるらしい。だがその辺りの草むらはと言うと、近所のオジサンもマムシにやられたという曰く付きの場所。危ない、マムシは怖い……、しかし子猫が……。
一緒にいた友達も先に帰ってしまって、独りではどうしようもなかったので、取りあえず家まで走って帰って、母を助っ人に呼んできて、私は思い切って土手を何歩か駆け上がった。すると草の葉と葉の間から、チラリと猫の顔が見えた。
私の背後から、母が訊ねた。
「どんな子や?」
「まっ黒けや!」
そう答えた私は、ほどなく真っ黒な子猫を拾い上げ抱きかかえ、母と笑顔で、家に連れて帰った。
我が家にやってきた、まっ黒けの子猫は、当時テレビ放映されていたアニメ『ジャングル黒べえ』にあやかり、その日の中に「クロベー」と名付けられた。

1973(昭和48)年5月27日が、唯一この駅を利用した日である。
京都山科にいた頃、近所に住んでいた友達のH君が、小学校4年生の終わりに引越し、転校した。
それから2年余り。中学1年生になった同じ近所の友達同士で「H君に会いにいこう」という話になり、5月の最終日曜であり、またH君のの誕生日でもあったこの日に、友達4人でお宅を訪問したのが、確かこの日であった。
その日は友達5人で旧交を温め、夕方にはまた4人連れだって、帰路に就いた。
電車やバスを乗り継ぎ、あとは徒歩。そして我が家までもう5分程度で到着という所で、どこからか子猫の鳴く声が聞こえてくるのに気付いた。
我が家では、私が小学校1年生から6年生まで、何匹か猫を飼っていたのだが、丁度その頃、我が家所属の猫は1匹もおらず、いささか寂しい思いをしていた時期だったので、ふいに聞こえてきた子猫の声に、私は過敏なぐらいの反応をしてしまっていた。
よく耳をすませて聞けば、子猫の声は道路から少し高い所を流れる、用水路の土手の、草むらの中から聞こえてくる。どうやら子猫は草むらの中にいるらしい。だがその辺りの草むらはと言うと、近所のオジサンもマムシにやられたという曰く付きの場所。危ない、マムシは怖い……、しかし子猫が……。
一緒にいた友達も先に帰ってしまって、独りではどうしようもなかったので、取りあえず家まで走って帰って、母を助っ人に呼んできて、私は思い切って土手を何歩か駆け上がった。すると草の葉と葉の間から、チラリと猫の顔が見えた。
私の背後から、母が訊ねた。
「どんな子や?」
「まっ黒けや!」
そう答えた私は、ほどなく真っ黒な子猫を拾い上げ抱きかかえ、母と笑顔で、家に連れて帰った。
我が家にやってきた、まっ黒けの子猫は、当時テレビ放映されていたアニメ『ジャングル黒べえ』にあやかり、その日の中に「クロベー」と名付けられた。
