4月14日21時26分、前震。
震源地熊本県熊本地方、マグニチュード6.5(暫定値)、最大震度7。
自宅でビデオ鑑賞中だった。
経験したことのない大揺れで、身体が縮こまる。
揺れが収まるのを待ち、職場が心配だったので、急いで自転車で職場へ向かう。
22時から3時まで職場で活動。
4月16日1時25分、本震。
震源地熊本県熊本市、マグニチュード7.3、最大震度7。
4月16日は、起きていたがベッド臥床中。
もの凄い揺れで、ベッドから振り落とされないように布団にしがみつく。
例えるならキングコングに掴まれて、振り回されている感じ。
ベッドにしがみつきながらも、片手で押し入れの襖が倒れないように押さえる余裕をみせる。
揺れた時間は20秒弱かな。
揺れが収まり、ライトを探して部屋を照らすと、昨日と違って足の踏み場がないくらいに物が散乱している。
とんでもないことが起きてしまった。
動揺しながらも着替えて、貴重品を持ち、物を跨ぎながら外に出る。
二部屋隣のおじさんが左腕を痛そうに押さえており、6階から1階まで一緒に降りる。
まだまだ断続的に余震が続いているので、みんなで駐車場に座って待機。
地鳴りがして、空を見ると暗雲が立ち込めているように見えて、あぁこれが世界の終わりかと思う。
この日も揺れがある程度収まってから職場へ向かう。
夕方まで職場で活動し、クタクタになって家に戻る。
建物を確認すると、1階から3階に亀裂。
電気が止まっていると思い込んでいたので、冷蔵庫と冷凍庫の食品を全部袋にまとめて、熊本に遊びに来ていた遠方住みの知り合いに持って帰ってもらった。
また揺れたらいけないので、自転車(スペシャライズド)も預かってもらう。
でも結局は電気は止まってなかったようだ。
メテオ(自転車)と着替え、洗面用具、布団を車に積んで、職場の近くの駐車場に車を停める。
ずっと何も食べてなかったので、自然解凍した冷凍ご飯をお茶(水)漬けにして食べる。
車の後部で横になりながら、ラジオやインターネットで地震の情報を得る。
ショップの方からも情報提供や励ましのメールや電話を何回か頂いた。
この時、自転車をやってて良かったなぁと思った。
メールの最後に「今回のことがぜーーーんぶ終わったら、みんなで走りに行きましょう」と書いてあり、楽しかったあの日を思い出し泣いてしまう。
4月17日
朝から昼過ぎまで職場の片付け。
連日の事で疲労が溜まり、イライラしてしまう。
後に疲れているのはみんな一緒と気付き、イライラしたことを反省。
職場の片付けが終わり、次は部屋の片付け。
どこから手を付けていいのかわからず、一旦ベッドに横になる。
気を取り直して部屋の隅から順に片付けを開始し、意外と早く片付け終了。
地震前より部屋が綺麗になり、気持ちが楽になった。
ガスと電気は使えた。
食料は自分の判断ミスで米しかない。
避難所に食料が足りないらしいので、お腹は空いてるけど我慢しよう。
夕方に「ご飯食べれていますか?」とショップの先輩からメールが着て、今日は何も食べてないと返信したら手作り弁当をもらった。
ショップの先輩はこの後、「友達の家の片付けに行く」と去っていった。
銭湯や温泉が何ヵ所か開いているという情報をもらう。でも2時間待ちらしい。
地震前にお風呂のお湯を溜めていたので、その水で身体と髪を洗う。
4月18日。
自宅待機の指示が出たので、自宅待機。
結局何もなし。
昨日先輩にもらった炊き込みご飯のおにぎりを食べる。
実家に帰りたかったが、道が渋滞しているらしいし、ガソリンも節約したかったので、まだ帰るのは止めておく。
歩いて近所の様子を見に行く。
開いているコンビニがあったが、ニュースの通り長蛇の列だった。
避難所の学校の駐車場にも車がたくさん。
近所に住む後輩は両親と体育館に避難しながらボランティアをしていると言っていた。
後輩とこまめに連絡を取り、励まし合う。
夜にショップの先輩がタンクに水150リットルを入れて持ってきて下さった。
先輩も疲れているはずなのに…。
水は近所の人と職場のスタッフに配った。
まだ余っていたので、先輩は「道行く人に配りながら帰る」と言って去っていった。
4月19日。
朝から水が出た。
ご飯を炊いて、おにぎりを作る。
渋滞が落ち着いてきたようなので、実家に帰る。
震災以来、初めての遠出。
途中車の長い行列があり、何かと思ったら温泉待ちの行列だった。
実家の近くの家が一軒全壊していた。
実家は瓦が落ちたのと、家の中の物が散乱したくらいの被害。
屋根にシートが被せてあったが、家の中は台所とリビング以外片付けてなかった。
割れたガラスもそのままで、仏壇も埃かぶったまま…。
忙しくて片付ける暇がなかったとのこと。
午前中に兄の小さな町工場の片付けを手伝い、午後から姪とボール遊びをして宿題を見て、誰も片付けないので、家の中を片付ける。
片付けていると私の小学低学年の通知表が散らばっていた。
担任の先生より「大人しいけど、グループ内での喧嘩が多い」「授業中、もっと積極的に発言をして欲しい」と同じような事を何回も書いてあり、密かに傷つく。
家族全員庭で車中泊。
4月21日。
大雨のため、一部の地域で避難勧告が出た。
ショップの方に「食料を近くまで持ってきたので取りにおいで」と連絡をもらい取りに行く。
一部の店で商品が揃ってきたと情報を得たので、買い物もして食料を実家に持っていく。
熊本市内の部屋に戻り、ベッドで寝る。
まだまだ余震は続いている。
4月22、23日。
仕事が休みなので、ボランティアに行く。
知り合いでボランティアに行きたくても行けない人がたくさんいると思うので、勝手にみんなの代表気分で行く。
西原村からグリーンロード(地蔵峠の道)を通り、南阿蘇へ。
西原村は自転車でよく走っていた。
俵山方面は全面通行止めとなっていた。
西原村は、道も家も被害が大きく、見慣れた景色がこんなになってしまい、ショックを受ける。
グリーンロードは被害はそうなさそうだが、緊急車両やトラックがたくさん通っている。
グリーンロードの展望所からの眺め。
アスペクタが緊急車両の駐車場となっていた。
南阿蘇の久木野まで1時間半かかった。
土日はもっと混むだろう。
久木野のボランティアセンター。
ボランティアの申し込みとボランティア保険の登録後に説明を受け、各々の車で担当の場所へ移動。
震災から一週間たったが、避難所はまだ慌ただしかった。
ボランティアの采配もままならない様子。
私は避難所の中で休まれている方とゆっくり話をしてくださいと言われ、他のボランティア3人で分担して話を聴いてまわった。
半数くらいの方は、仕事や家の片付けで外出されていた。
一人一人に座って声を掛ける。
「どこから来たと?来てくれてありがとうね」と言ってくださる。
そして被災からおよそ1週間経ち、みなさん「疲れた」と言われていた。
同年代の方で、「何で自分は助かったんだろうね…」と話される方もおられた。
昼食は持参したおにぎりを食べた。
久木野から熊本市内に戻る時、往路で痛んでいた道が、復路では元に戻っていた。
復興とはこう言う事かと驚く。
熊本で仕事が出来ないので、福岡方面に出張。
明日熊本に戻ったら、元の職場で仕事が待っている。
休みたいけど、休めない。
被災するとはこう言う事か。
今はちょっと疲れた。
心身共に回復したら、またボランティアに行こうと思う。
自転車は周りの状況と自分の気持ちと相談しながら再開する。
震源地熊本県熊本地方、マグニチュード6.5(暫定値)、最大震度7。
自宅でビデオ鑑賞中だった。
経験したことのない大揺れで、身体が縮こまる。
揺れが収まるのを待ち、職場が心配だったので、急いで自転車で職場へ向かう。
22時から3時まで職場で活動。
4月16日1時25分、本震。
震源地熊本県熊本市、マグニチュード7.3、最大震度7。
4月16日は、起きていたがベッド臥床中。
もの凄い揺れで、ベッドから振り落とされないように布団にしがみつく。
例えるならキングコングに掴まれて、振り回されている感じ。
ベッドにしがみつきながらも、片手で押し入れの襖が倒れないように押さえる余裕をみせる。
揺れた時間は20秒弱かな。
揺れが収まり、ライトを探して部屋を照らすと、昨日と違って足の踏み場がないくらいに物が散乱している。
とんでもないことが起きてしまった。
動揺しながらも着替えて、貴重品を持ち、物を跨ぎながら外に出る。
二部屋隣のおじさんが左腕を痛そうに押さえており、6階から1階まで一緒に降りる。
まだまだ断続的に余震が続いているので、みんなで駐車場に座って待機。
地鳴りがして、空を見ると暗雲が立ち込めているように見えて、あぁこれが世界の終わりかと思う。
この日も揺れがある程度収まってから職場へ向かう。
夕方まで職場で活動し、クタクタになって家に戻る。
建物を確認すると、1階から3階に亀裂。
電気が止まっていると思い込んでいたので、冷蔵庫と冷凍庫の食品を全部袋にまとめて、熊本に遊びに来ていた遠方住みの知り合いに持って帰ってもらった。
また揺れたらいけないので、自転車(スペシャライズド)も預かってもらう。
でも結局は電気は止まってなかったようだ。
メテオ(自転車)と着替え、洗面用具、布団を車に積んで、職場の近くの駐車場に車を停める。
ずっと何も食べてなかったので、自然解凍した冷凍ご飯をお茶(水)漬けにして食べる。
車の後部で横になりながら、ラジオやインターネットで地震の情報を得る。
ショップの方からも情報提供や励ましのメールや電話を何回か頂いた。
この時、自転車をやってて良かったなぁと思った。
メールの最後に「今回のことがぜーーーんぶ終わったら、みんなで走りに行きましょう」と書いてあり、楽しかったあの日を思い出し泣いてしまう。
4月17日
朝から昼過ぎまで職場の片付け。
連日の事で疲労が溜まり、イライラしてしまう。
後に疲れているのはみんな一緒と気付き、イライラしたことを反省。
職場の片付けが終わり、次は部屋の片付け。
どこから手を付けていいのかわからず、一旦ベッドに横になる。
気を取り直して部屋の隅から順に片付けを開始し、意外と早く片付け終了。
地震前より部屋が綺麗になり、気持ちが楽になった。
ガスと電気は使えた。
食料は自分の判断ミスで米しかない。
避難所に食料が足りないらしいので、お腹は空いてるけど我慢しよう。
夕方に「ご飯食べれていますか?」とショップの先輩からメールが着て、今日は何も食べてないと返信したら手作り弁当をもらった。
ショップの先輩はこの後、「友達の家の片付けに行く」と去っていった。
銭湯や温泉が何ヵ所か開いているという情報をもらう。でも2時間待ちらしい。
地震前にお風呂のお湯を溜めていたので、その水で身体と髪を洗う。
4月18日。
自宅待機の指示が出たので、自宅待機。
結局何もなし。
昨日先輩にもらった炊き込みご飯のおにぎりを食べる。
実家に帰りたかったが、道が渋滞しているらしいし、ガソリンも節約したかったので、まだ帰るのは止めておく。
歩いて近所の様子を見に行く。
開いているコンビニがあったが、ニュースの通り長蛇の列だった。
避難所の学校の駐車場にも車がたくさん。
近所に住む後輩は両親と体育館に避難しながらボランティアをしていると言っていた。
後輩とこまめに連絡を取り、励まし合う。
夜にショップの先輩がタンクに水150リットルを入れて持ってきて下さった。
先輩も疲れているはずなのに…。
水は近所の人と職場のスタッフに配った。
まだ余っていたので、先輩は「道行く人に配りながら帰る」と言って去っていった。
4月19日。
朝から水が出た。
ご飯を炊いて、おにぎりを作る。
渋滞が落ち着いてきたようなので、実家に帰る。
震災以来、初めての遠出。
途中車の長い行列があり、何かと思ったら温泉待ちの行列だった。
実家の近くの家が一軒全壊していた。
実家は瓦が落ちたのと、家の中の物が散乱したくらいの被害。
屋根にシートが被せてあったが、家の中は台所とリビング以外片付けてなかった。
割れたガラスもそのままで、仏壇も埃かぶったまま…。
忙しくて片付ける暇がなかったとのこと。
午前中に兄の小さな町工場の片付けを手伝い、午後から姪とボール遊びをして宿題を見て、誰も片付けないので、家の中を片付ける。
片付けていると私の小学低学年の通知表が散らばっていた。
担任の先生より「大人しいけど、グループ内での喧嘩が多い」「授業中、もっと積極的に発言をして欲しい」と同じような事を何回も書いてあり、密かに傷つく。
家族全員庭で車中泊。
4月21日。
大雨のため、一部の地域で避難勧告が出た。
ショップの方に「食料を近くまで持ってきたので取りにおいで」と連絡をもらい取りに行く。
一部の店で商品が揃ってきたと情報を得たので、買い物もして食料を実家に持っていく。
熊本市内の部屋に戻り、ベッドで寝る。
まだまだ余震は続いている。
4月22、23日。
仕事が休みなので、ボランティアに行く。
知り合いでボランティアに行きたくても行けない人がたくさんいると思うので、勝手にみんなの代表気分で行く。
西原村からグリーンロード(地蔵峠の道)を通り、南阿蘇へ。
西原村は自転車でよく走っていた。
俵山方面は全面通行止めとなっていた。
西原村は、道も家も被害が大きく、見慣れた景色がこんなになってしまい、ショックを受ける。
グリーンロードは被害はそうなさそうだが、緊急車両やトラックがたくさん通っている。
グリーンロードの展望所からの眺め。
アスペクタが緊急車両の駐車場となっていた。
南阿蘇の久木野まで1時間半かかった。
土日はもっと混むだろう。
久木野のボランティアセンター。
ボランティアの申し込みとボランティア保険の登録後に説明を受け、各々の車で担当の場所へ移動。
震災から一週間たったが、避難所はまだ慌ただしかった。
ボランティアの采配もままならない様子。
私は避難所の中で休まれている方とゆっくり話をしてくださいと言われ、他のボランティア3人で分担して話を聴いてまわった。
半数くらいの方は、仕事や家の片付けで外出されていた。
一人一人に座って声を掛ける。
「どこから来たと?来てくれてありがとうね」と言ってくださる。
そして被災からおよそ1週間経ち、みなさん「疲れた」と言われていた。
同年代の方で、「何で自分は助かったんだろうね…」と話される方もおられた。
昼食は持参したおにぎりを食べた。
久木野から熊本市内に戻る時、往路で痛んでいた道が、復路では元に戻っていた。
復興とはこう言う事かと驚く。
熊本で仕事が出来ないので、福岡方面に出張。
明日熊本に戻ったら、元の職場で仕事が待っている。
休みたいけど、休めない。
被災するとはこう言う事か。
今はちょっと疲れた。
心身共に回復したら、またボランティアに行こうと思う。
自転車は周りの状況と自分の気持ちと相談しながら再開する。