横浜の西口から間近の公会堂で、生涯学習塾の講演会として、コバ研(小林研一郎)さんの講演があったので、出かけてきました。
舞台の袖から出ていらっしゃったマエストロは、いつもと違ってライトグレーのスーツをお召しになっていて、ちょっと意表をつかれました。
だって、いつもはコンサート会場ですから黒の燕尾服ですもの。
決して長身ではないマエストロですが、オーケストラをバックにその存在感は圧倒的です。
いつもオーラの嵐です(^^)
そのマエストロを、白のタートルにライトグレーのスーツは等身大の人に見せていました。
なんとなく普通の人同士って感じかな。
でもお話の内容を聞くうちに、指揮者としての懊悩も垣間見えて。
幼い時から、音楽は頭の中からあふれ出ていたようです。
将来を考えて教師である父親は音楽を禁止そたそうですが、それでも五線譜に音楽があふれ出すことは止めようがなく。
そのために生まれたと言うか、なるべくしてなったというか、モーツァルトと同じことがあるんだと思いました。
芸大入学までは作曲家を目指していたマエストロが、指揮者の道に入ったのはその後の事。ですから指揮者としては遅い、34歳でのスタートだったのです。
普通各種コンクールは年齢制限があって、大体が30歳以前。
34歳のマエストロには、出られるコンクールがありません。
音楽家としてコンクールで賞をとって初めて、あちこちからオファーが来るチャンスにつながります。
そして、これこそが天の采配と言うべきか、ご縁と言うか。
第一回ブタペスト国際指揮者コンクールのエントリー資格が、35歳だったのです。
そのブタペストのコンクールでのお話は、今まで「そんなことがあるらしい」としか知らなかったかーさんに、体験者の実話として、ぞくぞくくるようなお話でした。
何日にもわたるコンクール。参加者は各国からの60名。
60曲の中から、出る直前に抽選で引き当てる課題曲。
第一次は「ベートーベンの第一交響曲の第二楽章」と「セビリアの理髪師 序曲」
これでマエストロは、幸運の女神の前髪をつかんだとおっしゃいました。
二次に進めるのは、15名。
そして、マエストロは最終選考に。
そこで、日本のコバ研は「コンクール第一位」と「特別賞」の2つを勝ち得たのです。
パロマでのオペラ指揮者としての恐ろしい体験。
町中がオペラの歌であふれる本場で、イタリア語の話せない指揮者に向けられる視線は冷たく、拍手もなく始まった本番。
ま、終わってみればヴラッボーとスタンディングオベーション(立ち上がって拍手する)の嵐だったのですが。
時として、夜中に飛び起きることがあるそうです。
夢で「そこはそうじゃない!!!」って声が聞こえて。
五線譜の間に作曲家の想いがあるというのは先日の亡き羽田さんの言葉でしたが、有名になればなるほど、より深く行間にこめられた作曲家の思いを探って懊悩するものなのでしょう。
作曲家は何を言いたかったのか、何を表現したかったのか。
作曲家でもあるマエストロだからこそ、その思いは深い気もします。
理論整然・筋道を立てて話すという点から言えば、マエストロは決してお話し上手ではありません。
でもそのやさしく丁寧な語り口は、人の心をほぐします。
だからこそ、今日のような普段クラシックなどとは縁のない方々がいても、笑いがおきます。
そして口癖のように「ありがとうございます」「ごめんなさいね」と言います。
人への思いやり。物事へのおもいやり。
それをいつも感じるのです。
恥ずかしい話ですが、今日かーさんは、なぜかお話を聞いていて涙があふれてどうしようもありませんでした。自分でも不思議なのですが、こらえるのに一生懸命でした。
悲しいわけでもないのに、マエストロの声を聞いているだけで、涙が出るのです。
コンサートでもそうなのですが、マエストロからはいつも「人に対する優しさと感謝」を感じるのです。
指揮棒を振り出す前に、必ず手を胸において祈るような仕草をします。
振り終わっても、音楽の神様にでしょうか、やはり感謝の一瞬があります。
終わって聴衆に向ける笑顔と礼に、「聞いてくださって、ありがとう」のオーラがあふれます。
特に日フィルの場合は、楽団員全員も「ありがとう」と礼をするので、いつも「こちらこそありがとう」と言う気持ちになって、ホンワカとした心地で家路に着くのが良いのです。
何故涙が出たのでしょう?
人は心が寂しかったり、つらかったり、痛かったり、疲れている時、優しい心に接するとこらえてきたものが堰を切ったようにあふれるものです。
きっとそうした涙でしょう。
このところ、思い悩むことがちょっぴりありましたから(^^;;
ともあれ、お話を聞いているうちに、マエストロがもうワンステップ踏み出そうとしているのが分かりました。
去年日フィルの音楽監督を離れた時、とても残念だったのですが、やっと納得できました。
これからも作曲に指揮に、またまったく違った世界に、心の赴くままに踏み出して欲しいと願いました。
67歳。
とてもそんな年齢には見えませんが、もっと何かできるのではないかと、もっと違うこともやってみたいと思う年齢なのでしょうね。
もっとも今までの調子では、忙しすぎて音楽以外の事は出来ないでしょうが。
何しろ国際的に活躍する音楽家は、数年先までスケジュールが詰まっていますからね。
いつまでもお元気で、年齢が増すだけ、いっそう奥深い活躍をなさることを祈りましょう。
舞台の袖から出ていらっしゃったマエストロは、いつもと違ってライトグレーのスーツをお召しになっていて、ちょっと意表をつかれました。
だって、いつもはコンサート会場ですから黒の燕尾服ですもの。
決して長身ではないマエストロですが、オーケストラをバックにその存在感は圧倒的です。
いつもオーラの嵐です(^^)
そのマエストロを、白のタートルにライトグレーのスーツは等身大の人に見せていました。
なんとなく普通の人同士って感じかな。
でもお話の内容を聞くうちに、指揮者としての懊悩も垣間見えて。
幼い時から、音楽は頭の中からあふれ出ていたようです。
将来を考えて教師である父親は音楽を禁止そたそうですが、それでも五線譜に音楽があふれ出すことは止めようがなく。
そのために生まれたと言うか、なるべくしてなったというか、モーツァルトと同じことがあるんだと思いました。
芸大入学までは作曲家を目指していたマエストロが、指揮者の道に入ったのはその後の事。ですから指揮者としては遅い、34歳でのスタートだったのです。
普通各種コンクールは年齢制限があって、大体が30歳以前。
34歳のマエストロには、出られるコンクールがありません。
音楽家としてコンクールで賞をとって初めて、あちこちからオファーが来るチャンスにつながります。
そして、これこそが天の采配と言うべきか、ご縁と言うか。
第一回ブタペスト国際指揮者コンクールのエントリー資格が、35歳だったのです。
そのブタペストのコンクールでのお話は、今まで「そんなことがあるらしい」としか知らなかったかーさんに、体験者の実話として、ぞくぞくくるようなお話でした。
何日にもわたるコンクール。参加者は各国からの60名。
60曲の中から、出る直前に抽選で引き当てる課題曲。
第一次は「ベートーベンの第一交響曲の第二楽章」と「セビリアの理髪師 序曲」
これでマエストロは、幸運の女神の前髪をつかんだとおっしゃいました。
二次に進めるのは、15名。
そして、マエストロは最終選考に。
そこで、日本のコバ研は「コンクール第一位」と「特別賞」の2つを勝ち得たのです。
パロマでのオペラ指揮者としての恐ろしい体験。
町中がオペラの歌であふれる本場で、イタリア語の話せない指揮者に向けられる視線は冷たく、拍手もなく始まった本番。
ま、終わってみればヴラッボーとスタンディングオベーション(立ち上がって拍手する)の嵐だったのですが。
時として、夜中に飛び起きることがあるそうです。
夢で「そこはそうじゃない!!!」って声が聞こえて。
五線譜の間に作曲家の想いがあるというのは先日の亡き羽田さんの言葉でしたが、有名になればなるほど、より深く行間にこめられた作曲家の思いを探って懊悩するものなのでしょう。
作曲家は何を言いたかったのか、何を表現したかったのか。
作曲家でもあるマエストロだからこそ、その思いは深い気もします。
理論整然・筋道を立てて話すという点から言えば、マエストロは決してお話し上手ではありません。
でもそのやさしく丁寧な語り口は、人の心をほぐします。
だからこそ、今日のような普段クラシックなどとは縁のない方々がいても、笑いがおきます。
そして口癖のように「ありがとうございます」「ごめんなさいね」と言います。
人への思いやり。物事へのおもいやり。
それをいつも感じるのです。
恥ずかしい話ですが、今日かーさんは、なぜかお話を聞いていて涙があふれてどうしようもありませんでした。自分でも不思議なのですが、こらえるのに一生懸命でした。
悲しいわけでもないのに、マエストロの声を聞いているだけで、涙が出るのです。
コンサートでもそうなのですが、マエストロからはいつも「人に対する優しさと感謝」を感じるのです。
指揮棒を振り出す前に、必ず手を胸において祈るような仕草をします。
振り終わっても、音楽の神様にでしょうか、やはり感謝の一瞬があります。
終わって聴衆に向ける笑顔と礼に、「聞いてくださって、ありがとう」のオーラがあふれます。
特に日フィルの場合は、楽団員全員も「ありがとう」と礼をするので、いつも「こちらこそありがとう」と言う気持ちになって、ホンワカとした心地で家路に着くのが良いのです。
何故涙が出たのでしょう?
人は心が寂しかったり、つらかったり、痛かったり、疲れている時、優しい心に接するとこらえてきたものが堰を切ったようにあふれるものです。
きっとそうした涙でしょう。
このところ、思い悩むことがちょっぴりありましたから(^^;;
ともあれ、お話を聞いているうちに、マエストロがもうワンステップ踏み出そうとしているのが分かりました。
去年日フィルの音楽監督を離れた時、とても残念だったのですが、やっと納得できました。
これからも作曲に指揮に、またまったく違った世界に、心の赴くままに踏み出して欲しいと願いました。
67歳。
とてもそんな年齢には見えませんが、もっと何かできるのではないかと、もっと違うこともやってみたいと思う年齢なのでしょうね。
もっとも今までの調子では、忙しすぎて音楽以外の事は出来ないでしょうが。
何しろ国際的に活躍する音楽家は、数年先までスケジュールが詰まっていますからね。
いつまでもお元気で、年齢が増すだけ、いっそう奥深い活躍をなさることを祈りましょう。