田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

人間とヤドカリの宿命

2023-12-05 04:53:29 | 日記
 人間(私)は住む家を持っている。
屋敷は先祖代々から受け継いだものだから、
江戸の末期ごろ足戸(現朝戸の根津栄)から移住している。
二代盛窪が屋敷を構えたようだ。
与論町誌によるとそのころから、麦屋-足戸から古里、那間、立長の里(パル)に移住が始まっている。
私の古里の北半分は足戸の根津栄周辺からの移住である。
主なる名字は 川畑、大原。竹、本、で構成されている。
アジンツェーの氏子である。
林、池田、川上などは後の移住者や氏子との縁で移住してきたと思われる。
 歴史をここで語るつもりはなかったので・・・、止める。



砂道を登りながらこう考える。
住む家があって良かった。戦争で家を失い避難キャンプ暮らしのニュースを見ていると、
つくづく今の暮らしでヨカッタと思う。
借金してコンクリート半二階建てを作ってもらった。
新婚を意識して、元の住居をクレーンで吊り下げて南に移動して、
元の屋敷を80センチかさ上げして、業者はムトウ建設だった。
鉄筋の住居建物が少ないのでまた受けで沖縄の業者に工事が渡って完成した。
屋敷の拡張、かさ上げ、旧住居の移転、修理で当時3千万ぐらいはかかっている。
大工だったおじさんが「高い建築費だ」とぼやいていたのを知っている。
当時の設計は三晃建設さんしか知らなかったので、農家の家だから質素で頑丈につくってくださいと、
内装はクロス張りをお願いした。
二階部分は私の住居、一階部分が家族の暮らす場所だった。
子どもは3名恵まれ、ベランダに子供部屋を増築して、なんとか子供を卒業させた。
祖父が亡くなり、父母も亡くなった。
母が高血圧で倒れたので、看病棟の張り出しを造ったがは母と父は老人ホームに移った。
医師付きの病棟暮らしの方がいいだろうということで、
私は出勤時に挨拶に行く程度だった。
このところは「介護と家庭」とテーマしていつか書くことにする。


 
 朝活の作業、
砂を岩礁に運んで緑化を試みていて、いろんなことが頭をよぎる。
あれした方がましなのかこれした方がもっとうまくいくのではないだろうか。
試行錯誤は楽しい。
一か月で効果が分かるもの一年たってやっと土着が確認される植物や造作。
三年経って育てた植物が台風の高波に無残な姿にさらされたことなど・・・・、
自然は厳しくても、それはそれとして、
私にだけ厳しいのではないのだと、ヤドカリにも、カニにも、渡り鳥や蝶にも、自然は襲い掛かってくるが、
その事象が地球を救ってきた。
四季折々の変化があるから楽しめる。
これが自然なんだとあきらめて 悟
これは  齢を重ねなければ「なかなかには」には見えてこないものらしい。
骨折入院して 生きる」をより考えるようになった。
私は先祖から家屋敷を引き継ぐことでお墓に縛られた生き方を貫いているが、
アパートやマンション暮らしの人は 家」に縛られないで職業も自由に選択できる羨ましいと思ったこともあったが、
宿命と思って人生を決めたら楽ちんであった。



 稼ぐことを忘れてしたいことして過ごしている。
不自由を楽しむ。  もったいない」を重んじる。
パーマカルチャーを私なりのやり方で工夫する。
貧乏をよしとして、年金の範囲内で過ごす。
倉庫を含め 寝泊まりできる部屋が三か所あるので、そこを掃除して
昔の音楽と映画を見て暮らす生活の場所をこれから作りたい。
道具や機器、骨董品は有り余って集めてある。
そろそろ着替えて出かける準備をしよう。
 あら、 コーヒーを沸かしていた。



忘れてしまった。
これから宿を借りて暮らす」 人生を楽しむ。
あの世から迎えに来るまで。
葬式に進める酒瓶には 「 宿主」と書いて張り付ける。
車がない与論の昔の葬式では  お酒を無理にでも進めるのが常識でした。
貧しくても お葬式は 酒が切れる事はありません。
現代は
酒を勧められても 断るのが常識です。
常識は 変えられるものです。
直にうけいれられるものと受け入れられないものがある。
それが  私のわがままな  常識を 暮らしていきます。



 コーヒーが 美味しい。









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