私は、小学生時代を「何故だろう,何故かしら?」と、好奇心の塊で育った。
小学五年生の時、与論十五夜踊りで変なお面をかぶった踊りを見ながら思った。
この踊り手たちの先祖は、僕らの先祖たちとは違うかもしれないと。
探求心がわいた。
崖の下に行けば何かわかるかもしれない。
一人で探ってみようと思った。
そこはお墓の集合場所(ジシ)で骸骨がいっぱいあった。
怖くなって逃げ帰った。
これは、そのころ祖母に聞いたはなし。
むかし、与論島に一人の盗人がいたそうだ。
人家から野菜や果物、卵や鶏が、はたまた子牛までも盗まれていた。
誰だか分からないので、誰が言い出したか、名前をヤマとつけた。
ヤマグの意味からか、または家名(ヤーナー)からか、
いつしかそのおおどろぼうのことを「ぴんぎやま」と呼んだ。
物がなくなるから、どこかに潜んでいることは間違いないが、
彼の隠れている住処を見つけることができなく時は過ぎていった。
ある夜、南の海にイカ釣り行った漁師が、シミャー(死庭)の断崖に火が点っているのを不思議に思った。
シミャーはお墓の役場と言われるところで、棺桶を運ぶときにしか行かない島の辺鄙な場所である。
度重なる盗難に業を煮やした住民は、その不思議な明かりを確認し、ひらめいた。
「ぴんぎやま」はシミャーの崖に隠れているのだろうと、絶壁、メーグチバンタのがけっぷちを探したところ、
かじら(蔓)でよられた縄がぶらさがっていた。
舟で沖に出て絶壁を見るとその中腹に穴が見えた。
間違いないと思い、懲らしめに縄を切り落とした。
そのご盗難が消えたという。
「ぴんぎやま」は、そのままそのあなで餓死したといわれている。
話が本当であるならば、その穴は風葬の役目をして、「ぴんぎやま」の骸骨が残っているかもしれない。
探検に行きたい好奇心が沸いてきた。
NPO法人与論島ウンパル学校代表 竹 盛 窪
かなしゃ」 2 特集 魂の島 島語りより転記
シミャーの崖を探検するためロープを吊り下げて「ぴんぎやま」の穴をめがけましたが、
険しくて 断念しました。
再挑戦したい。
未だ好奇心は旺盛ですが
不用意しています。
シゴーヌ中棚(なかだな)
イイムッケー棚
やんばルの盗人 「くにまさマニュ」については構想を温めています。
応援お願いします。
トトロ岩
イイムッケー棚
隠れ案内人に出会ってしまいました。
サンゴの復活の様子を記録する・。
海の再生ネットワークよろん 監事を引き受けることになりました。
県希少動植物保護推進員の仕事も仰せつかっております。