田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

砂利の道・マイ道路

2017-01-31 05:35:23 | 日記

 砂利の道を造ろうと思ったきっかけが思いつかない。
 
 コツコツと進めてきた。
 屋敷内のあちらこちらに道を造り、
 岩、石、大木のまわりに庭らしきものをしつらえるつもりでいる。
 着々とあの世への道を造る作業を続けてきた。



 数年前からは、
 特に完全断酒を誓ってからは、

 屋敷内のあの世とこの世の境目が古い井戸端と決めて、
 毎朝の祈りの場所にしてきた。



  「アブドール、ダムニ苦、ホリマ苦、エリマ苦、
  我とともに来たりて、我とともに滅ぶべし・・・、ノーメン」

 二週間前からは毎朝の掃き掃除も始めることにしている。



 卒業課題は自宅の主庭を想定して描いたので、
 それをイメージして樹を植えた。
 屋敷周りを旧道(里道)が通っているので、
 昔道(宿道)を再現するための材料に浜砂利を使ってみたのが、
 砂利道造りの始まりだったような気がする。

 庭つくりにおいて、
 (琉球文化を考える上で)

 その土地の材料を生かしたのが本物の文化に発展していく、
 とも考えたので、
 何処にでもあるしかも簡単に手に入る庭つくりの材料と言えば、
 浜砂と砂利、そして珊瑚石であった。

 ただほど高いものはない」と、
 別の意味の言い回しで使っているが、
 あとで気がついてみると、
 これほど便利な庭つくりの材料は思いつかない。
 砂、砂利の種類があれこれと見つかったからである。



 
 一部で試しながら、
 庭のエリアを決めて、
 材料を生かせる作庭に挑戦している。

 日々の楽しみ。



 これは 芸術になりえるかもしれない。

 アートは気ままな発想から生まれる。




      夢想国師を目指す。

                      作庭師  泡盛拝

 

虎は死して皮を残し

2017-01-30 02:08:29 | 日記

        人は死して名を残す

 与論島に生まれて 名を残した人と言えるには
 名誉町民、栄誉町民と呼ばれることであろう。
 歴史に名が残るためには、
 与論町誌に記録されれば一応は名を残すことにはなるだろうか。

 町誌追録の編纂にあたり、執拗に人名を書きたがる人、
 入れたがるかたがあって、
 苦笑を誘うが、些細な団体の長として記録に残っても、あまり意味がない。
 昔は自分の身内(祖父・区長として)が町誌に名前が載っていて嬉しかったことを思えば、
 自分も同じだったことになるのだが・・・、
 現在は昔と違って、
 ごく普通の人がTVに出演したり、
 新聞紙上で紹介されたりして、
 必ずしも世の中に貢献したから名の知れた人になるというわけでもなくなった。

 行政や学校関係の職員名簿を必要以上に載せて紙面の無駄が多い。
 そんなのは、町誌を見なくても、
 学校関係の発行物で、必要があれば調べられる。
 町誌の追録に取り上げることは、
 そんなバカげたことではなく、新しい見解を紹介することにあると思っていたが、
 ついに切り出せなかった。
 言ったら、
 書かなければならないし、
 責任が伴うので臆病になってしまった。

 明日、最終校正の原稿の読み合わせがある。
 私の執筆したのが二稿あるが、後世のかたの参考程度にとどめることにした。
 全編を自分で構成し、その中で自分の考えを書かないと
 上手くまとめられないことも分かった。
 書きたい事実を隠さなければならないことなども出てきて、
 町誌は難しい。
 自己責任で書く記事程度が、僕には似合っている。

 死して名を残せるような仕事に取り憑かれてしまった。
 嬉しい 使命感に湧いている昨今だ。

 長生きしてもっと調べて、記録を追加していきたい。
 名誉町民と呼ばれるよりももっと大切なことが残せるかもしれない。
 わたしが共同調査にあたった新記録が今後も続々とでてくるだろう。
 私の先祖のことを調べるうちに
 もっともっといいことが明らかにされるであろう。

 自分学でもある。
 父のことを思いながら書いている。
 
 

天命を知る

2017-01-29 04:21:30 | 日記

 座右の銘

 心の欲するところに従いて
 矩をこえず

 そんなときが果たしてくるのだろうか。




 65歳を目の前にしてそろそろ
 天命を知らされているような気がしている。

 もうこれ以上の暮らしを望んではいけないなどと思いながらも、
 足腰の元気なうちに、
 きになるところに研修旅行もしてみたい。

 逢いたい人にも逢って
 生きざまを語りたいと思っている。



 年寄りになると、
 自分の生きたことを語りたくなるのが世の常であるようだ。
 回顧することで暇をつぶして
 あの世からの迎えを待っている。



 山羊や金魚に餌をやり、
 鉢物や植木に水をやって、
 三度の食事を美味しくいただいて、
 家族の邪魔にならず、
 自分のことが自分でできるようになっていこうとしている。




 それが幸せな生き方だろう。

 高齢化社会に向けて、
 自宅介護ができるような仕組みを構築できれば、
 老人ホームに行かなくても、
 あるいはお世話になるにしても、
 なるべく短くてあの世に逝けるように
 自分の住宅環境を整備しておきたい。

 同居する家族との生活環境を屋敷内で
 すみ分けしなければならない。




 植物の生態を人間関係に応用する。
 これが
 釈迦の仕組みとコミュニティ形成のエリアの考え方だ。




 与論社会を鳥瞰する。

 私の らんどあんど  ランドスケープ。



 
 

下書き二重投稿

2017-01-28 03:25:20 | 日記

  よくある間違い。

 消えてしまったブログ。

 思いが強くなって書き進んでいるうちについ、
 キイを打ち間違えてしまって
 消えてしまう。

 下書き保存されているときもあるが
 いくら探しても見つからない時もある、

 保存されてない文章は
 たいていにおいて 興奮しているときである。

 気分が高揚して書いているときの妄想を
 
 もう一度書くにはならない。

 消えた泡が元に戻らないのとおなじように・・・、
 でも
 次の泡はまた別の日に湧いてくるのであろう。



 今日は旧正月

 今年はまだ新年の抱負を書いていない。
 気持ちが定まっていない、
 言い出せない計画が二点ほどあって、
 言ってしまえばやらなければならないので
 出しかねている。

 家族の同意を得たいので
 家族会議を開く機会を伺っている。

 空き家バンクの登録が外れたので、
 これは良しとしている。



 次なるのは、
 今年の誕生日、5月に65歳になる。
 65歳を目途に何かをしようとしていた。
 手続きだけできることは隠居だと思って、
 世帯分離をしてみた。
 思い通りに事が運んでいると自分はおもっているが
 家族には嫌われて
 だんだんと口をきかなくなってしまった。
 そのうちに当たり前になるだろうと、
 隠居は早いほうがいい。



 自立している間はいいが
 介護が必要になるときが来るので
 そのことを考慮しながら 70歳を目途に生活圏を構築したい。

 

 

船倉海岸の景観を考える

2017-01-27 05:46:17 | 日記

  人工ビーチの渚のデザインを始めてから1年余りたっていて、
 何とか思ってた通りのことで進んできた。
 予想以上の成果が出ていると思う。



 ここでの試みは人口ビーチであることから気安くできた。
 新しい植物を植生として定着させることができ、
 外来の有害植物として取り扱われないかの心配をしながらやってきた。



 もし成功したら
 新しい景観を作る植物の材料として取り扱ってもらうことを考えていた。

 公共の場所で試作をさせてもらうので、
 法に触れないように、
 触れても罰則をもらわないような手法でやることにしている。



 今回の場所も、ちゃんと許しを得てやっている作業です。
 周りの地主も調べて、断りも居れながら、
 行政にもそれとなく見てくるように促しながら、
 事業も導入して勧めてきているので、
 今のところ住民や観光客からの苦情は届いていない。



 観光客にしてみれば
 もともとからこんなであったろうと思っているに違いない。

 住民さえも気が付いてないだろう。
 少しづつ目立たぬようにやってきたから。


 10年近くなっている。

 あの離れ島で私がやっていることに気が付いているのが
 数名はいるようだが
 内緒にしてくれているようだ。



 なんのことはない。
 オオゴマダラの食草をうえたりしているだけだから、
 自然植生を壊すことはしてなくて、
 むしろ
 復活させる準備を始めている。



 今年度からもっと力を入れたいと思っているが、
 先ずは
 集落民の同意を得たい。