2013.03.18
断酒入院日記・体験発表のつづき
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私がアルコール依存症を認識したのは、
平成15年の夏の頃です。
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同僚に文書を書く手の震えを指摘されてから
ますます気になりました。
島が小さいので、ほとんどの人が自宅に戻り
昼食をとります。
毎朝欠かさずお茶をお供えする神棚の横の
小さな杯に手を付けたのが依存症の始まりだったのでしょう。
失敗談を話すと限りがないので省きますが、
小使いを使い果たすと言い訳が上手になり、
女房に隠れて飲む快感を覚えてしまいました。
仕事が終わると天気祭りだとか、
出張帰りの友人を誘い出し、
船迎え祝いだとか理由をつけて、
居酒屋でどんちゃん騒ぎ。
ママは付けで飲むのを心得ていて
給料日に集金にまいります。
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禁断症状を初めて経験した時は、
天井のシャンデリアからシャンソンが聞こえてきました。
金魚を飼い始めていたので、
夜中に窓から入ってきていると言って、
妻を起こして金魚を捕まえようとしました。
炭焼きの実験に成功してたので、
指先が燃えて熱い、天井が星空で輝いていると、
まるで怪奇の世界、つまり幻覚をみているのです。
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禁断になるとイライラして、
TVも音楽も好きなことも何もできません。
興味も意欲もなくなりただアルコールを捜すのみです。
まず、へそくりを捜しまくりました。
女房は禁断症状に気がついているので飲ませまいとします。
そうなると「口答えするな、ダマレ、バカヤロー、
しまいには出ていけ!」と、自室にこもって、
隙を見て窓から逃げ出して酒の飲める場所を探し回ります。
女房のバック、財布、商品券も使い果たして
最後にはお墓の酒も飲みました。
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長くなりますが、
自分一人では断酒が無理だったことを話させてください。
職場の体制や人間関係のストレスとは別に、
自分の夢があったので、
女房に相談なしで55歳の早期退職を申し出ました。
アル中の為に退職したと言われたくなくて、
意地を張って八か月の断酒を達成し、
職員との送別会では
祝福の酒をいっぱいいただくことができました。
幸いに父の農業を継いで、
職場で得た知識と経験を生かして
有機栽培のマンゴーに力をいれました。
名刺代わりにと思い、
NPO法人を立ち上げツアーガイドもやっております。
はじめのうちは禁酒生活も上手くコントロールできましたが、
沖縄への研修旅行をきっかけに、
ビールでの晩酌ぐらいはと飲み始めました。
一週間に2日は飲まない約束を守って、
最初は6か月続きました。
そして5か月、3か月、1か月・・・、
入院する前には一週間しか持ちませんでした。
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断酒に関する本は幾度も読み、
断酒記録もしてみました。
神頼みとして沖縄のアル中を治すと言われる信者集団を頼りに
先祖供養をしてウタキまわりに3年をかけ、
百万ばかりも使ったでしょうか・・・?
自己断酒を目指して頑張ると同時に、
沖縄の歴史の勉強もしたかったのが目的でもありました。
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入院のきっかけは
妻の出張中に食事もろくにとらずに酒浸りなって、
急に体重が5キロも減りました。
とうとう内臓までやられたかと心配になって、
かねてから尊敬し信頼している医師に相談し、
抗酒剤を処方してもらおうと思っていたところ、
すでに妻の方が先に先生の照会で
竹元病院に相談に行ってくれて、
「内観療法の手引き」等を買ってきていて、
禁断で苦しんでいるベッドの上で読み聞かせてくれました。
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このまま酒を飲み続けていたら、
脳の前頭葉がやられてしまう。
内臓もやられて、痴呆になって徘徊する・・・、
とか何とか思って、命が惜しくなって」
仕事や夢どころではありません。
即入院を決めました。
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