アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 平成弐拾七未年 其の壱拾六

2015年03月02日 | 近世の歴史の裏側

 

 あらかじめ覚悟していたのか、手回しよく土産のお金を入れた挺斗袋を用意していたのであろう。

名主、村役人に金百疋(一分)、若衆中の世話人六人に二百疋(二分)を贈った。

 若者への丁重な挨拶は異例である。村役人は村の公権力であるので、それなりの挨拶は必要と

考えられるが、何故に若者に村役人の二倍の金二分を贈らねばならないのか、

若者組は村の婚姻、性に対して絶大な権限を有していた。

徳は夫千代松を亡くした後家ではあるが、若者組は未婚の娘以上に、後家の性に対しては厳しい

監視下に置いていた。村外の三右衛門を後見とし。世話を受けるとならば、尚更若者組の承諾は

不可欠である。若者に何らの挨拶もなく徳と、三右衛門が結びつくとなると、若者は暴力集団を

なして、何をしでかすかわからない。

その辺のことは百戦錬磨の顔役三右衛門のことであるので、百も承知であったのであろう。

                                                  続く