ほんわか亭日記

ダンスとエッセイが好きな主婦のおしゃべり横町です♪

「父との別れ」

2010-11-24 | エッセイ
2010年11月23日(火)

ウィステは、毎朝、ダンナの仏壇とチチの仏壇にご挨拶をしている。
チチが亡くなったのは、2年前の秋・・。
早いものだなあ・・。
そこで、チチのエッセイを・・・

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父との別れ

 
 朝の七時過ぎに電話が鳴った。父が腰椎の骨折で入院している病院からで、
父の容態が急変したという。昨日も、
「あと二週間で退院だ」
 と、父は喜んでいたから、看護師さんの言葉が俄かには信じられない。ともかく
弟宅へ電話し、義妹の紀子さん(仮名)に出勤前の弟への伝言を頼んだ。
二十五分の道のりももどかしく病室にかけつけると、六人部屋の他のベッドには
カーテンが引かれ、廊下側の父のベッドの周りでは、看護師さんたちがパジャマ姿の父に
覆いかぶさるように心臓マッサージをしていた。ドンドンと力を込めて胸を押されても、
父の反応は無い。父には、呼吸管や電極が付けられ、ベッド脇の見慣れない器械に
繋げられている。その画面の波型の線を担当医の先生が注視していた。先生のお話も
そこそこに、私は、看護師さんの横から手を出して、父の顔や手を触ったが、父は既に冷たい。
 ――ああ、間に合わなかった!
 今は、長男である弟の到着まで、マッサージで父の心臓を動かしているのだ。電気ショックを
施される度に跳ね上がる父の姿を見るに見られず、私は、ただ弟を待った。
弟夫婦は、来るなり、父の様子に顔を強張らせた。弟は、先生から状況の説明を受けながら、
目の前の父の心臓の鼓動の曲線にじっと見入っていた。
「心臓マッサージを止めて下さい」
 とは、弟も私も切り出せなかったが、とうとう先生に、
「お父様の瞳孔が開きました」
 と告げられた。私と目を交わした後、弟が、先生に、
「マッサージはもう結構です」
 と伝え、平成二十年九月十六日午前九時四分、父は逝った。八十八歳だった。
 ――離れ離れに入院しているお母さんに、もう一度会わせてあげたかった……。
「ことりと心臓が止まってしまったんでしょう」
 との先生の言葉のとおり、苦しんだ様子もなく穏やかな顔だった。
 目を上げると、向かいのカーテンの隙間から、ベッドに正座したお年寄りが手を
合わせてくれている姿が見えた。
「お父様とお別れをして下さい」
 と、先生や看護師さんたちは一礼して部屋を出て行き、弟夫婦と私の三人で、静かに横たわる
父を囲んだ。私は、あまりにあっけない別れに力が抜け、ふ~っと息を吐いた。ややあって、
紀子さんが、
「眠っているようですね」
 と、言い、弟が頷く。私は、冷たさを増す父の額を、頬を撫でながら、そういえば父は、
「なあに、子供たちに世話なんかかけないさ」
 と、言っていたっけと、ぼんやり思っていた。
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もう3回忌も終わってしまったけれど・・・。

夕方ポチ散歩に出たら、公園の公孫樹が金色に燃え立っていた。
「綺麗だよ~、ポチ」
と、声をあげたけれど、ポチは落ち葉の中をふんふん嗅いでいる。
銀杏でも探しているのかな・・?
見つけたら臭いんだもの、ささっとリードをひっぱって立ち去りました。




コメント
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