2014年7月27日(日)
昨日、ポストに、前の住民の方宛の葉書が入っていた。
このままって訳にはいかないし、不動産屋さんに連絡したら、
今日、取りに来てくれた。
これからは、「転居」って書いて、郵便ポストに入れようか、
不動産屋さんに聞いたら、あちらに連絡してくれるそう。
さて、引越しして、そろそろ3ヶ月。
そこで、先日のエッセイサークルに出した、エッセイを・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「引越しします」
今の家に住んで三十四年になる。ここで、三人の子供たちを育て、夫を亡くした。
その後、十年一人住まいを続け、隣りの私の両親の世話をしながら過ごして来た。
ご近所ともほどほどのお付き合いを続けてきて、居心地は悪くなく、このまま八十歳くらいまで
住むつもりだったのだが、夏に、父に五年後れて母が亡くなり、一軒家を守る気持ちの張りが
切れてしまった。腰痛が出てきて、草取りがおっくうになったし、冬の雪かきも二軒分で、
大変なのだ。一人でこの家に住むのがきつくなってきたと感じた。
「マンションだと冬に雪かきしなくて良いんだよね~。この家も築四十年にもなると、
これから修理費とか掛かりだすし、考え出すと不安だわねえ」
と、子供たちそれぞれに言うと、
「年を取ったら、マンションのほうが住むのに楽だから、一人暮らししていても安心だ。
六十代の体力があるうちに引越しをするほうが良いよ」
と、背中を押してくれた。娘などは、
「お母さんに何かあったときに、一軒家よりマンションのほうが、後始末が、し易いわ」
と、はっきり言うが、両親の家の後始末をしたばかりの身にとっては、
「それもそうかも」と肯ける。
いや、引越しによる断捨離は、子供に迷惑をかけないための私の最後の仕事とすら思えてきた。
それに、マンションと言えば、この家に来る前に住んでいたが、小さな子供が三人居る子育て期で、
騒音の苦情に肩身の狭い思いをしたものだった。だが、今度は私一人。もう足音に気遣うことも
なく住めそうだ。マンションは暖かいと言うのも魅力だった。
移るとなると、「駅前のマンションだよ」と、娘も息子たちも言う。車を運転出来なくなったとき
の生活を考えるからだ。もっともだが、車を手放した生活はあまり考えたくない。
足が無くなると行けなくなるサークルがいくつかあり、そこのお仲間とのご縁もどうしても
遠くなってしまう日のことを今から考えるのは、おっくうだから。
駅といっても、いろいろな駅があるけれど、子供たち、特に娘の家の最寄り駅のマンションとの
誘惑がちらっと心の中に顔を出したが、いやいやいや……。娘には娘の生活のリズムがある。
娘が、引越しは当然、地元の駅前という態度なのも、その辺の含みがあると感じるし……。
とにかく、これまでの友人関係を大事に続けたいので、引越し先は1kmほど先の駅近くだと
決めたのは十二月になった頃だった。
地元の不動産業者に、家を売る話とマンションを買う話を持っていくと、一軒家の売買は今は
なかなか大変で……と言われたが、マンションの話はすぐ具体的に動き出した。新築マンションを
勧められて見学したときには、ぴかぴかのモデルルームに私が心を動かされたが、同行した長男に、
「ダメだよ。予算オーバーだ」と、冷静に止められてしまった。それでも、パンフレットを見たり、
チラシやネットのホームページに載っている部屋の間取り図を見たりするうちに、自分の今後の
新しい生き方を探しているようで、気合が入ってくる。
正月休みには、二男、娘たちと駅前の中古マンションを見て回った。決めたのは、駅から徒歩五分の
三十一階建てマンションの十四階で、ベランダからは、畑や林と家々の白壁が光っているのが
望めた。
「真ん中辺で良いじゃない」と娘たちも言うし、私も子供たちの泊まる部屋があるので納得したが、
ただ、孫のあやが喜んで駆け回る足音が響く。これではフローリングのリフォームは必須と思い、
特にクッション性の高いのをお願いした。
「一軒家からマンションへの引越しは、捨てて、捨てて、捨てまくるのよ」と経験者の友人に
はっぱをかけられ、早速、断捨離の日々が始まった。こちらの物入れもあちらの物入れも、
開けてみれば古い不用品だらけ。ゴミ屋敷とは、我が家のことだった。
もう思い出も何も言っていられない。結局、ゴミ袋に詰めて捨てたものが六十袋近く、
市のリサイクルセンターへ車いっぱいのゴミを八回運び、しまいには、受付の方に顔を覚え
られたほどだった。それに、家具類は、市の粗大ゴミ収集に3回にも分けてだしたりもした。
よくこれだけの物が家の中にあったものだ……。
そんな最中、二月の半ばに雪が降った。今年は積もりに積もり、隣の両親の家のカーポートが
へし曲げられた。ご近所のご主人たちが雪かきを始め、私も捻挫した足をかばいながら外へ出た。
道を挟んだ東隣のご主人が、我が家の側の雪をかいてくださっている。
「すみません。ありがとうございます」と挨拶し、今度は反対側、両親の家の隣のご主人にも
声をかける。そちらは婿さんが実働部隊で、ご主人が見回っている様子だ。両親の家の前は、
そのさらに向こう隣のご主人と息子さんがかいてくれている。二人はず~っと、我が家の前まで
かいてくれた。我が家の前の雪をかかないとそちらの家の車を動かせないそうだ。私は、
「すみません……」と、言いながら、せいいっぱいシャベルを動かした。もはやご近所のご主人
たちの力をお借りしなければどうしようもない。お礼を言いつつ、自分の力に余る所に住んで
いるんだと思い知った。
お二人があらかたかたずけて引き揚げてから、私は敷地内の門の脇の段差の雪かきを始めた。
門には夫の名前の表札が掛かっている。夫が若い頃は、みなさんに混ざって、頼もしく雪かきを
してくれたっけ。亡くなる頃は体調を崩していたから、今日みたいに、みなさんに頼って、
彼自身、くやしい思いをしただろうか……。春になったら、この表札も持って、引越しをしよう
と思いながら、私は玄関までの道をつけていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
表札は、今では、マンションの部屋の玄関に飾ってあります。(^^)
昨日、ポストに、前の住民の方宛の葉書が入っていた。
このままって訳にはいかないし、不動産屋さんに連絡したら、
今日、取りに来てくれた。
これからは、「転居」って書いて、郵便ポストに入れようか、
不動産屋さんに聞いたら、あちらに連絡してくれるそう。
さて、引越しして、そろそろ3ヶ月。
そこで、先日のエッセイサークルに出した、エッセイを・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「引越しします」
今の家に住んで三十四年になる。ここで、三人の子供たちを育て、夫を亡くした。
その後、十年一人住まいを続け、隣りの私の両親の世話をしながら過ごして来た。
ご近所ともほどほどのお付き合いを続けてきて、居心地は悪くなく、このまま八十歳くらいまで
住むつもりだったのだが、夏に、父に五年後れて母が亡くなり、一軒家を守る気持ちの張りが
切れてしまった。腰痛が出てきて、草取りがおっくうになったし、冬の雪かきも二軒分で、
大変なのだ。一人でこの家に住むのがきつくなってきたと感じた。
「マンションだと冬に雪かきしなくて良いんだよね~。この家も築四十年にもなると、
これから修理費とか掛かりだすし、考え出すと不安だわねえ」
と、子供たちそれぞれに言うと、
「年を取ったら、マンションのほうが住むのに楽だから、一人暮らししていても安心だ。
六十代の体力があるうちに引越しをするほうが良いよ」
と、背中を押してくれた。娘などは、
「お母さんに何かあったときに、一軒家よりマンションのほうが、後始末が、し易いわ」
と、はっきり言うが、両親の家の後始末をしたばかりの身にとっては、
「それもそうかも」と肯ける。
いや、引越しによる断捨離は、子供に迷惑をかけないための私の最後の仕事とすら思えてきた。
それに、マンションと言えば、この家に来る前に住んでいたが、小さな子供が三人居る子育て期で、
騒音の苦情に肩身の狭い思いをしたものだった。だが、今度は私一人。もう足音に気遣うことも
なく住めそうだ。マンションは暖かいと言うのも魅力だった。
移るとなると、「駅前のマンションだよ」と、娘も息子たちも言う。車を運転出来なくなったとき
の生活を考えるからだ。もっともだが、車を手放した生活はあまり考えたくない。
足が無くなると行けなくなるサークルがいくつかあり、そこのお仲間とのご縁もどうしても
遠くなってしまう日のことを今から考えるのは、おっくうだから。
駅といっても、いろいろな駅があるけれど、子供たち、特に娘の家の最寄り駅のマンションとの
誘惑がちらっと心の中に顔を出したが、いやいやいや……。娘には娘の生活のリズムがある。
娘が、引越しは当然、地元の駅前という態度なのも、その辺の含みがあると感じるし……。
とにかく、これまでの友人関係を大事に続けたいので、引越し先は1kmほど先の駅近くだと
決めたのは十二月になった頃だった。
地元の不動産業者に、家を売る話とマンションを買う話を持っていくと、一軒家の売買は今は
なかなか大変で……と言われたが、マンションの話はすぐ具体的に動き出した。新築マンションを
勧められて見学したときには、ぴかぴかのモデルルームに私が心を動かされたが、同行した長男に、
「ダメだよ。予算オーバーだ」と、冷静に止められてしまった。それでも、パンフレットを見たり、
チラシやネットのホームページに載っている部屋の間取り図を見たりするうちに、自分の今後の
新しい生き方を探しているようで、気合が入ってくる。
正月休みには、二男、娘たちと駅前の中古マンションを見て回った。決めたのは、駅から徒歩五分の
三十一階建てマンションの十四階で、ベランダからは、畑や林と家々の白壁が光っているのが
望めた。
「真ん中辺で良いじゃない」と娘たちも言うし、私も子供たちの泊まる部屋があるので納得したが、
ただ、孫のあやが喜んで駆け回る足音が響く。これではフローリングのリフォームは必須と思い、
特にクッション性の高いのをお願いした。
「一軒家からマンションへの引越しは、捨てて、捨てて、捨てまくるのよ」と経験者の友人に
はっぱをかけられ、早速、断捨離の日々が始まった。こちらの物入れもあちらの物入れも、
開けてみれば古い不用品だらけ。ゴミ屋敷とは、我が家のことだった。
もう思い出も何も言っていられない。結局、ゴミ袋に詰めて捨てたものが六十袋近く、
市のリサイクルセンターへ車いっぱいのゴミを八回運び、しまいには、受付の方に顔を覚え
られたほどだった。それに、家具類は、市の粗大ゴミ収集に3回にも分けてだしたりもした。
よくこれだけの物が家の中にあったものだ……。
そんな最中、二月の半ばに雪が降った。今年は積もりに積もり、隣の両親の家のカーポートが
へし曲げられた。ご近所のご主人たちが雪かきを始め、私も捻挫した足をかばいながら外へ出た。
道を挟んだ東隣のご主人が、我が家の側の雪をかいてくださっている。
「すみません。ありがとうございます」と挨拶し、今度は反対側、両親の家の隣のご主人にも
声をかける。そちらは婿さんが実働部隊で、ご主人が見回っている様子だ。両親の家の前は、
そのさらに向こう隣のご主人と息子さんがかいてくれている。二人はず~っと、我が家の前まで
かいてくれた。我が家の前の雪をかかないとそちらの家の車を動かせないそうだ。私は、
「すみません……」と、言いながら、せいいっぱいシャベルを動かした。もはやご近所のご主人
たちの力をお借りしなければどうしようもない。お礼を言いつつ、自分の力に余る所に住んで
いるんだと思い知った。
お二人があらかたかたずけて引き揚げてから、私は敷地内の門の脇の段差の雪かきを始めた。
門には夫の名前の表札が掛かっている。夫が若い頃は、みなさんに混ざって、頼もしく雪かきを
してくれたっけ。亡くなる頃は体調を崩していたから、今日みたいに、みなさんに頼って、
彼自身、くやしい思いをしただろうか……。春になったら、この表札も持って、引越しをしよう
と思いながら、私は玄関までの道をつけていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
表札は、今では、マンションの部屋の玄関に飾ってあります。(^^)