2019年3月25日(月)
今日は、整形外科の診察に行って来た。
先生に、
「どうですか?」
と、聞かれ、骨折のリハビリも終わったことと、骨粗鬆症のお薬をもらいに
来たことを言うと、
「大事な薬ですから、続けましょう」と。
そこで、今日は、そもそものきっかけとなった、骨折の話のエッセイを・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「転倒」
十一月の日曜日の夕方、文化センターに立ち寄った。そこの駐車場に車を止め、歩き出そうと
したところまでは、覚えている。
はっと気づくと、コンクリートの上に身体が横たわっていた。
何が起きたの?
私、倒れているの?
私、転んだの・・?
もがきながら、なんとか立ち上がると、左の膝が痛い。そして、ようやく状況が分かってきた。
車止めに足を引っかけたに違いない。とっさに、両手をついたので、顔と頭をコンクリートに
ぶつけなかったのは、幸いだが、その代わり、全ての衝撃を左膝で受けてしまったのだろう。
足を引きずりつつ、車内に戻り、しばらく、ぼ~っとしていた。顔も頭も怪我は無い。
両掌も赤くなっているけれど、怪我は、していない。ズボンを捲り上げて見てみたが、
膝は痛いが、少し赤くなっていただけだった。
「転ばないようにね」と、仲間たちと言っていたのに……。
でも、血が出ていないので、大丈夫そうだ。
二週間後のダンスの競技会は、出られるだろうか。練習してきたのに。
ともかく、明日は、整形外科に行って、ちゃんとレントゲンを撮ってもらおう。
右膝が無事で、助かった。私は、お陰で、このまま車でマンションに帰れると、
右足でアクセルを踏み、車を走らせた。
部屋に戻り、左膝を改めると、打ったところが、赤く、腫れて、太くなってきている。
そこで、湿布をして、炎症止めも飲んだが、痛みは、治まらない。伸ばしても痛く、あまり曲げられない。
これは、大事になった。私は、足に負担をかけないよう、寝室にあったキャスター付き洋服掛けを
歩行器代わりに、押して歩くことにした。これは、父の家にあったもので、今は洗濯物の室内干しに
使っていたが、やはり、親は、有難い。
翌日も、車を運転して、整形外科へ行って来た。とても混んでいたが、左足を投げ出すように
椅子に座り、じ~っと待っているしかなかった。やっと看護師さんに名前を呼ばれたと、思ったら、
診察前の予備質問だ。私が、怪我をした状況の説明をすると、看護師さんが、車椅子を持って来てくれた。
そのまま車椅子を押して貰って、他の患者さんたちを縫うように避けながらレントゲン室へ移動する。
途中から、
〈私は、重症患者なんだろうか、いや、大げさな〉と、落ち着かなくなった。
レントゲンを撮った後は、副院長先生の診察室の前へ連れていかれた。待たされている間、
「副院長」という名札を見上げていると、
「もしかしたら、複雑骨折か?独り暮らしなのに、手術、入院とかになったら、どうしよう。
子供たちも、忙しいのに。娘には、叱られそうだし」
と、悪い方へと、思いが流れた。
副院長先生の診察では、
「レントゲンの結果は、骨折は、見当たりませんね。でも、レントゲンは、よく写らない
こともあるから、MRIもしましょう」
と、言われ、木曜日に改めて、MRIも、受けることになった。
実は、そのMRIで骨折が見つかったのだが、レントゲンを済ませたばかりでは、
まだ、分からず、私は、これで、逃げ切れたとほっとしていた。
診察後、杖を借りることが出来、歩き方の指導も受けた。
怪我は、左膝なので、杖は、右手に持つ。
杖・右足・左足の順に、歩く。
ワン、ツー、スリーと、ワルツのようだ。
うん、そのリズムなら、慣れている。
とはいえ、実際に歩くとなると、そうはいかない。私は、杖を、突き突き、
えっちら、おっちら、薬局へのスロープを降りていった。
すると、下から、杖を突きながらも、しっかりとした足取りで登って来た男性が、話しかけてきた。
「転んじゃ、ダメだよ」と。
「やっちゃったんですよ」
と、後悔の言葉が口から零れると、少し、リキミが抜けた。
その方は、もう、杖のベテランらしく、すいすいスロープを登って行き、私は、
「達者に使えて、いいなあ」と、その姿を見送った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
脚は、まだ少し違和感はあるけれど、ダンスが出来るようになったので、
良しとします。
昨日も、城址公園で、階段を沢山、上り下りできたしね。
でも、その疲れで、午後からは、お昼寝・・。(^^;)
今日は、整形外科の診察に行って来た。
先生に、
「どうですか?」
と、聞かれ、骨折のリハビリも終わったことと、骨粗鬆症のお薬をもらいに
来たことを言うと、
「大事な薬ですから、続けましょう」と。
そこで、今日は、そもそものきっかけとなった、骨折の話のエッセイを・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「転倒」
十一月の日曜日の夕方、文化センターに立ち寄った。そこの駐車場に車を止め、歩き出そうと
したところまでは、覚えている。
はっと気づくと、コンクリートの上に身体が横たわっていた。
何が起きたの?
私、倒れているの?
私、転んだの・・?
もがきながら、なんとか立ち上がると、左の膝が痛い。そして、ようやく状況が分かってきた。
車止めに足を引っかけたに違いない。とっさに、両手をついたので、顔と頭をコンクリートに
ぶつけなかったのは、幸いだが、その代わり、全ての衝撃を左膝で受けてしまったのだろう。
足を引きずりつつ、車内に戻り、しばらく、ぼ~っとしていた。顔も頭も怪我は無い。
両掌も赤くなっているけれど、怪我は、していない。ズボンを捲り上げて見てみたが、
膝は痛いが、少し赤くなっていただけだった。
「転ばないようにね」と、仲間たちと言っていたのに……。
でも、血が出ていないので、大丈夫そうだ。
二週間後のダンスの競技会は、出られるだろうか。練習してきたのに。
ともかく、明日は、整形外科に行って、ちゃんとレントゲンを撮ってもらおう。
右膝が無事で、助かった。私は、お陰で、このまま車でマンションに帰れると、
右足でアクセルを踏み、車を走らせた。
部屋に戻り、左膝を改めると、打ったところが、赤く、腫れて、太くなってきている。
そこで、湿布をして、炎症止めも飲んだが、痛みは、治まらない。伸ばしても痛く、あまり曲げられない。
これは、大事になった。私は、足に負担をかけないよう、寝室にあったキャスター付き洋服掛けを
歩行器代わりに、押して歩くことにした。これは、父の家にあったもので、今は洗濯物の室内干しに
使っていたが、やはり、親は、有難い。
翌日も、車を運転して、整形外科へ行って来た。とても混んでいたが、左足を投げ出すように
椅子に座り、じ~っと待っているしかなかった。やっと看護師さんに名前を呼ばれたと、思ったら、
診察前の予備質問だ。私が、怪我をした状況の説明をすると、看護師さんが、車椅子を持って来てくれた。
そのまま車椅子を押して貰って、他の患者さんたちを縫うように避けながらレントゲン室へ移動する。
途中から、
〈私は、重症患者なんだろうか、いや、大げさな〉と、落ち着かなくなった。
レントゲンを撮った後は、副院長先生の診察室の前へ連れていかれた。待たされている間、
「副院長」という名札を見上げていると、
「もしかしたら、複雑骨折か?独り暮らしなのに、手術、入院とかになったら、どうしよう。
子供たちも、忙しいのに。娘には、叱られそうだし」
と、悪い方へと、思いが流れた。
副院長先生の診察では、
「レントゲンの結果は、骨折は、見当たりませんね。でも、レントゲンは、よく写らない
こともあるから、MRIもしましょう」
と、言われ、木曜日に改めて、MRIも、受けることになった。
実は、そのMRIで骨折が見つかったのだが、レントゲンを済ませたばかりでは、
まだ、分からず、私は、これで、逃げ切れたとほっとしていた。
診察後、杖を借りることが出来、歩き方の指導も受けた。
怪我は、左膝なので、杖は、右手に持つ。
杖・右足・左足の順に、歩く。
ワン、ツー、スリーと、ワルツのようだ。
うん、そのリズムなら、慣れている。
とはいえ、実際に歩くとなると、そうはいかない。私は、杖を、突き突き、
えっちら、おっちら、薬局へのスロープを降りていった。
すると、下から、杖を突きながらも、しっかりとした足取りで登って来た男性が、話しかけてきた。
「転んじゃ、ダメだよ」と。
「やっちゃったんですよ」
と、後悔の言葉が口から零れると、少し、リキミが抜けた。
その方は、もう、杖のベテランらしく、すいすいスロープを登って行き、私は、
「達者に使えて、いいなあ」と、その姿を見送った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
脚は、まだ少し違和感はあるけれど、ダンスが出来るようになったので、
良しとします。
昨日も、城址公園で、階段を沢山、上り下りできたしね。
でも、その疲れで、午後からは、お昼寝・・。(^^;)