中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

高島秋汎幽囚地(旧中山道を歩く 55)

2005年08月25日 08時58分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65
(高島秋汎幽囚地入り口の案内)



(深谷宿4)
中山道へ出て歩くとすぐ信号があり、信号の左角に
「高島秋帆幽囚地入り口」の石碑があるので、
信号を左折。すこし行くと右側に同じ石碑があるので右折。
左側の畑の中に石碑と案内がある一角がある。

(高島秋汎幽囚地跡)

高島秋帆は高島流砲術を創始した有名な砲術家であるが、
中傷により当地に幽囚されていた。
砲術の訓練には、江戸 板橋の徳丸が原で訓練し、
西洋流の砲術を紹介した。
後にペリー来航と共に近代兵学の必要性から、赦免になった。

徳丸が原は、昭和48年以前は広大な湿地帯であったが、
周りから埋め立てを行い、現在は東京都板橋区のマンモス団地が
林立して、その名も「高島平」と名づけられている。

中山道に戻り、しばらく行くと、右側に「曹洞宗普濟寺」がある。
ここは岡部六弥太が開いたお寺で、お墓もあるというが、
お墓は見損なってしまった。
案内に拠れば、お墓をいったん出て、
道路を北に行き、畑の中にあるというので見ておきたいものである。

(普済寺の門前)

(岡部六弥太の墓は何処にあるか解らなかったが、墓地にあった岡部家の墓で我慢してください)

やがて岡部駅入り口交差点右脇に「島護産泰神社」がある。
榛沢郡の総鎮守で安産の神様。創建は東国征伐で訪れた
日本武尊と言われる。この手前に岡部藩領岡下村の
高札場があったとされる。

(高札場があったとされる島護産泰神社)

(神社の境内、地方の神社の境内はよく整備されていて、とても奇麗)