(安中宿3)
熊野神社を出る前に回りを見渡すと東となりに東光院と言う名の
真言宗のお寺があって、ちょうど法事があるのか読経の声が
高らかに聞こえてきたので、立ち寄る。山門の扉の裏に見事で
巨大な天狗の面が取り付けてあった。
どんな意味を持つのか案内板もなかったが、
参道に人生訓の石碑が並んでいたので紹介しておきたい。
その1、
死にたいこともあったけど
生きていたからよかったね
ここで こうして こうやって
不思議な 不思議な めぐりあい
あきらめなくてよかったね
(どんな一生でも生きることは大切なこと)
その2、
死ぬより前に愛執を離れ
過去にこだわることなく
現在においても こせこせと
思いめぐらすことがないならば、
未来に関しても 顧慮することなどない
(ズッタニパータ)
(後顧の憂いなくしておきたいものである)
その3、
いかなる願望にも執着せず
次々と禅定の段階を深めていき
あらゆる煩悩を焼き尽くし
やがて無量の三昧(心統一)に入り
すべての三昧境地を超越して
一つの三昧に住しつつ無量三昧に入り
すべての三昧の境地を知って
諸仏の智慧を具えるに至る
(華厳経)
(何事にも一心不乱に行えば、この境地を会得出来ようか)
その4、
この上もなお
憂きことを
積まれかし
限りある身の
力ためさん
(いやなこと、どんどん持って来い!ボクの力で解決して見せるぞ)
その5、
慰の詩(うた)
人がこの世に生まれることは
人がこの世で死ぬること
早い遅いはあるけれど
誰でも必ず通る道
功なり名を遂げて逝く人や
のぞみ半ばで果てる人
思うようにならないけれど
永遠(とわ)の別れの悲しさは
同じ色した涙です
祈ってあげよう冥福を
人の運(さだ)めのむなしさは
面影慕って泣いたとて
冥府は境を異にして
見えぬ 聞こえぬ もの言わぬ
情(じょう)なし烏といわれても
わたしはおすすめ致します
悲しみ越えて明日(あした)から
試練に耐えて明日(あした)から
強い心になることを
(作者不詳)
*(注)ふりがなや解釈は筆者が勝手につけたものです)
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