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(旧碓氷郡役所)
(安中宿6)
旧中山道の本陣跡がある郵便局を、すこし西に進むと「伝馬町」の信号があり、
右折すると「旧碓氷郡役所」が坂を上りきった正面に見え、
その隣に安中キリスト教会の美しい姿をした礼拝堂が見える。
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(「伝馬町」の信号を右折)
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(信号のある交差点から見た旧碓氷郡役所)
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(安中キリスト教会入り口)
坂上の旧碓氷郡役所に寄ると、案内の男性から
「いらっしゃいませ!」と声を掛けられる。
こうした記念館で入った途端、声を掛けられることはいまだかってなかったが、
気持ちの好いものである。その日は春本番の暖かさで、休日でもあったためか、
訪れる人が今日は多いと話しておられた。
郡県制度ができた明治時代、群馬県は17郡の行政区画があったが、そこに11の郡役所が設置された。
碓氷郡役所は、明治21年に新築されたが、原因不明の火事により消失、
明治44年再建されたものが、今に残る。
建物は、元事務所であった部屋と会議室でほとんど占められており、
付け足すような感じで小さな所長室と応接室が中央にある。
郡役所跡は床を除けば、すべて古いまま再現されたというが、
木造建築はずいぶん長持ちするものだと今更ながら驚く。
もう100年を経過する。
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(郡役所の間取り)
考えてみればボクの生まれた家も、子供の頃 母に、「この家は何年経っているのか」と聞いたら、
「もう30年になる」と回答を得た。
今日に至るまで、建て直したと聞いていないので、
建ててからすでに100年近く経過する事になる。
百年をセンチュリー(世紀)というが、
思えばそんなに長い昔のことに感じられないのは、自分が歳をとったということか。
古い歴史の中に居ると、百年もついこの間のような気持ちになる。
旧碓氷郡役所を出る。
道一つ隔てた西側に、日本キリスト教団安中教会がある。
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(安中教会礼拝堂)
説明によれば、
「この教会は1878年 新島襄より湯浅治郎をはじめとする
地元の求道者30名が洗礼を受け、安中教会が創立されました。
群馬県では最初のキリスト教会であり、同時に日本人の手によって創立された
日本で最初のキリスト教会でもあります。
なかでも安中教会教会堂(新島襄記念会堂)は新島襄召天30周年を記念して建てられた会堂。
牧師柏木義円(旧中山道を歩く91参照)と信徒湯浅治郎が中心になり
信徒及び日本中から広く募った献金により1919年(大正8年)竣工。
有形文化財に登録されている。」(安中市教育委員会)
旧碓氷郡役所と安中教会の前の道を西に向かう道路は「大名小路」と名づけられており、
道路は旧中山道の北側を平行に走っている。
四百メートルほど先に、平成6年に復元された
旧安中藩郡奉行役宅、その先に旧安中藩武家長屋がある。
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(大名小路の標柱)