(文部省の指定天然記念物の石碑で京都側に立っている)
(杉並木の一部)
(安中宿10)
旧中山道は、なだらかな上り坂がどこまでも続き、西陽を受けてひたすら歩く。
やがて、昔の街道を思わせる杉並木が現れる。これが話に聞いた
「安中原市杉並木」で、昔はうっそうとした杉並木であったろうと思わせる。
しかし今はアスファルトの舗装道路に歩道まで付いた道路で、コンビニエンス・ストアやパチンコ店、
スーパーマーケットや老舗を思わせる割烹料理店が立ち並ぶ。
すれ違った中学生らしい二人組みの男子が「こんにちは!」と声を掛けて通り過ぎる。
(杉並木の道祖神)
(道祖神)
(お稲荷さん)
杉並木に並んで道祖神、庚申塔の石造群や赤い木組みの中に
お稲荷さんが祀ってある。
昔は旅人が、旅の安全を願い休憩したのであろうか。
道を進むと「原市村戸長役場跡」の標柱が道路右側の民家の門に立っている。
さらにその先今度は左側に「明治天皇原市御小休所」の石柱と
「原市高札場跡」の標柱が道路沿いの民家の前に立っている。
(原市村戸長役場跡の標柱)
(明治天皇小休止所と高札場の碑)
明治天皇が御行幸の折、いろいろな足跡を残されているが、
ここで休憩された場所である。当時の天皇は明治神宮があるように、
神様みたいなものだから足跡が残されているのであろう。
中山道で、今まで観てきた中には、桶川宿で宿泊所が、
板鼻宿を出て安中に入る「鷹ノ巣橋」たもとにある熊野神社には腰掛岩が残されている。
今では、天皇は人間であるから、どこかに行っても、石柱を建てるなど、
足跡が残されることはあまり聞かない。
(古い家)
(ピンボケですが、立場茶屋跡(大名公家の休憩所)の碑)
安中宿からの街道沿いには、古い家が散見され往時を偲ばせてくれる。
旧中山道はこの先特筆するものは無く、妙義山が正面に見えて、やがて国道18号線と合流する。
合流地点の国道18号線脇に妙義山常夜灯が置かれている。
さらに進むと18号線を約600メートル先で左方向に松井田町がある。
松井田町に入ると正面には妙義山に代わって、
今度は雪をかぶった浅間山が見えてくる。
(妙義山の常夜灯)
(およそ500m間隔の置かれた案内で旧中山道であることが確認できる)
日本橋を旅立って17日目。今日の歩きは三万九千歩(約27km)。
安中市は史跡がしっかり管理されて、案内も的確に表示されている。
資料館の管理人兼ガイドの説明も楽しく、
なんと言っても市民の皆さんが親切で礼儀正しく好印象であった。
次回は松井田宿から横川に入る。