(良く整備された小田井宿)
(小田井宿)
旧中山道を歩き始めて21日目の今日(6/13)快晴、最高気温28℃の予想。
しなの鉄道「御代田駅」を降り、踏み切りを渡り、
旧中山道がしなの鉄道でさえぎられる地点まで線路に沿って歩く。
線路と道路の間に展示してある「D51」の蒸気機関車を右に見て進むと,
左から来ている旧中山道がしなの鉄道で遮られている。
良く見ると線路をくぐる階段があり、
階段入り口には(旧中山道はここの階段を下りるとばかり)右下「塩名田」の案内看板がある。
(しなの鉄道をくぐる階段)
(塩名田は下への案内)
右→「塩名田」、左←「追分」とずいぶん親切な案内である。
階段で線路の向こう側に出ると、左右にのびる道路があり、
右に向かうとすぐ(栄町)の信号がある。
この信号でどちらへ向かったらよいのか少し思案する。
信号はY字路になっており、直進は「御代田駅」、
斜めに左に入る道が「小田井宿」に向かう道であると、
信号を渡った向こう側の分りにくいところに案内標柱があった。
(栄町の信号、根元に案内標柱が見える)
(標柱の拡大)
左に進もうとすると、道路の向こう側から、デイ・バッグをかついだ二人連れが、
地図を見ながらやってきた。どうやら京都側から中山道を歩いているようである。
彼らは中山道が線路でさえぎられているので、左右を見渡して、どちらへ進むべきか相談している。
まさか、しなの鉄道の向こう側に出るのに、小さな階段の地下道をくぐるとは予想していなかったに違いない。
教えてあげようかと思ったが、階段入り口に、「追分」こちらと階段を示す案内標柱が見えたので
(すぐにこの標柱を見つけるだろう)と思い不親切であるが、二人を見捨てて進む。
(今日は、「小田井」→「岩村田」→「塩名田」→「八幡」→「望月」と進む予定である。
時間はもう朝の10時をまわっている。少々焦り気味だ。
なぜなら、帰りは望月からバスでJR佐久平駅へ向かうのであるが、
バス乗り場が分かっていないので、時刻表の時間までに望月に行くことが出来ても、
バス停を探す間にバスは行ってしまうかもしれないからだ。
一時間に一本のバスに乗り遅れると、東京に帰る時間ははるかに遅くなってしまうからである。)
さて(栄町)の信号を斜め左に入ると、またY字路になるが、
これは今進んできた道路と同じ道幅の道路(つまり左側の道)をとる。
少し進むと案内標柱に出会い、進むべき道路が正しいことを知る。
しばらくはポツリポツリと家のある田舎の町中を抜ける道を進む。
いかにも旧家らしい白壁の長い塀に囲まれた家を見たり、(荒町上宿)と書かれたバス停を見て、
今日午後に利用するバスの停留所はこんな形をしているのかと、
見ながらかなり歩くが、特にお伝えする史跡も無い。
(信号を左折するとまたあるY字路ここは左に行く)
(案内標柱を確認し道路が間違っていないことに安堵)
(古いが大きなお屋敷)
(荒町バス停)
やがて道路標柱があり、右「塩名田10,3km」、左「追分5km」と書いてある。
追分から塩名田まで15kmほどあるから、間にある小田井宿はまもなくと元気を出して歩く。
まもなく道路案内があり、すぐ信号にぶつかる。
この信号の道路案内には直進(小田井 佐久)右(上田 小諸)とあり、
信号を渡った右角に(町史跡 中山道小田井宿跡 入口)の標柱があり、
その足元に古い地蔵様がある。
(塩名田への里程案内)
(道路案内を確かめながら進む)
(小田井宿入口の標柱)
(見知らぬ土地ではホッとするお地蔵様)
また町の案内によれば、
(小田井宿は中山道69次のうち、日本橋から22次、40里14丁(約160km)の距離にある。
軽井沢町追分宿、佐久市岩村田宿の間の宿であり、比較的こじんまりとした宿場で、
皇女和宮を始めとし、宮家や公家の姫君が多く泊まったことから「姫の宿」ともいう。
本陣・問屋・旅篭等建物が現在も残っている。
街道の繁栄期の文化・文政期の文政五年(1822)の記録では、軒数199戸、人口524人を数え、
町並みは寛延元年(1748)の記録では七町23間(805m)あった。)(御代田町教育委員会)
その先の左側に、小田井宿を細かく記した案内看板があるので、看板に従って歩く。
(高札場を思わせる小田井宿の観光案内地図)
(小田井宿旧道の観光地図)
最初に、左手の奥まったところにある「宝珠院」。真言宗のお寺である。
門前入り口に馬頭観世音の大きな石塔があり、門をくぐると
町指定の天然記念物の赤松優雅に形をととのえており、
同じく天然記念物に指定された推定樹齢300年の枝垂桜が、
来る人を迎える。
(宝珠院の門前)
(馬頭観世音の碑)
(天然記念物の赤松と静かなたたずまいの宝珠院)
(樹齢300年のしだれ桜と本堂)
中山道に戻ると道路の左側を清らかな岩村田用水が流れ、
町の中央に進むと、右側に本陣、続いて上問屋、
そしてその先左側に脇本陣・下問屋と続いて古い建物が、見事に綺麗に保存されている。
(京都側から見た小田井宿、岩村田用水の清流)