![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/54/000075cc2e3585c91502f9aa9994bd24.jpg)
(下の問屋跡)
(小田井宿3)
前回は小田井宿の本陣に造られた大用所・小用所が、
畳二畳敷きであることから、いろいろ考えたことを書き述べた。
この小田井宿の町の長さが、記録では約800mであるから、
町としては小さなものであるが、古きよき時代の建物の保存が
良く行き届いている。本陣と上の問屋を後にして進むと、
南側に脇本陣跡があり、続いて下の問屋跡が並んでいる。
しかし、町は寂しげで人通りもなく、やがて左側の家の板壁に、
今にもはがれそうな「小田井下宿」の住居表示が、
町の侘しさを増幅している。
住居表示を過ぎたすぐ先の道路脇に、道祖神、馬頭観音などの
石造群が夏草に囲まれて建っている。
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(下宿の住居表示)
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(石造群)
旧中山道はこの先、田や畑の中を進むが、道路脇にはりんごの木が
まだ青い実をつけているのが見える。
道路はその先で国道九号線と合流し、歩道もある大きな自動車道となって、
前方のかなり先まで見渡すことが出来る。
先の方は上り坂で、大きなショッピングセンターらしき看板が
(食事ができる大型レストラン、青果物を扱うスーパーマーケット、
日曜大工の道具と材料を扱う店などなど)右手に沢山見えてくる。
右手にあるショッピングセンターがほぼ坂の頂上で、
その先に延びる道路には車が激しく行き来している。
上信越自動車道を陸橋で越え、佐久インター東の信号を越えると
道路脇にこんもりとした森が見えるが、そこは一群のお墓があり、
入り口には、千手観世音、馬頭観世音などの石造群がある。
一群のお墓は大井家先祖代々の墓が累々と並んでおり、
墓地内中央の小高い山に上には、由緒ありげなお墓がひとつある。
この辺りを納めた大井氏に縁のある人のお墓と思われる。
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(千手観音など石造群)
武田信玄は佐久に進出した折、大井氏、友野氏、滋野(海野)氏らの佐久衆を破るが、
このあたり一帯は、信濃守護小笠原氏から出た地頭大井氏の勢力範囲であった。
その居城跡も近くにあるという。
町はにぎやかになってくるが、左側に住吉神社の石柱があり、
中には人の気配もなく、石の鳥居とその脇に、大きなこぶを作った
樹齢400年のケヤキがあり、木の幹は空洞で「住吉の祠」といわれているそうだ。
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(住吉神社)
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(鳥居の隣にある樹齢400年のケヤキ)
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(貫禄のあるケヤキのこぶ、この裏側が空洞で祠になっている)
境内には二十三夜塔、御岳山座生大権現をはじめとする、八海山、三笠山の
山岳信仰を現す、石碑が並んでいる。
この住吉神社が、岩村田宿の北の入り口に当たる。
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(山岳信仰の石碑)
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(龍雲寺入り口の石碑)
少し進むと、同じ左側に龍雲寺の石柱があり、奥にいかにも古いお寺の門が見える。
この龍雲寺には、武田信玄の霊廟がある。