(下の問屋跡)
(小田井宿3)
前回は小田井宿の本陣に造られた大用所・小用所が、
畳二畳敷きであることから、いろいろ考えたことを書き述べた。
この小田井宿の町の長さが、記録では約800mであるから、
町としては小さなものであるが、古きよき時代の建物の保存が
良く行き届いている。本陣と上の問屋を後にして進むと、
南側に脇本陣跡があり、続いて下の問屋跡が並んでいる。
しかし、町は寂しげで人通りもなく、やがて左側の家の板壁に、
今にもはがれそうな「小田井下宿」の住居表示が、
町の侘しさを増幅している。
住居表示を過ぎたすぐ先の道路脇に、道祖神、馬頭観音などの
石造群が夏草に囲まれて建っている。
(下宿の住居表示)
(石造群)
旧中山道はこの先、田や畑の中を進むが、道路脇にはりんごの木が
まだ青い実をつけているのが見える。
道路はその先で国道九号線と合流し、歩道もある大きな自動車道となって、
前方のかなり先まで見渡すことが出来る。
先の方は上り坂で、大きなショッピングセンターらしき看板が
(食事ができる大型レストラン、青果物を扱うスーパーマーケット、
日曜大工の道具と材料を扱う店などなど)右手に沢山見えてくる。
右手にあるショッピングセンターがほぼ坂の頂上で、
その先に延びる道路には車が激しく行き来している。
上信越自動車道を陸橋で越え、佐久インター東の信号を越えると
道路脇にこんもりとした森が見えるが、そこは一群のお墓があり、
入り口には、千手観世音、馬頭観世音などの石造群がある。
一群のお墓は大井家先祖代々の墓が累々と並んでおり、
墓地内中央の小高い山に上には、由緒ありげなお墓がひとつある。
この辺りを納めた大井氏に縁のある人のお墓と思われる。
(千手観音など石造群)
武田信玄は佐久に進出した折、大井氏、友野氏、滋野(海野)氏らの佐久衆を破るが、
このあたり一帯は、信濃守護小笠原氏から出た地頭大井氏の勢力範囲であった。
その居城跡も近くにあるという。
町はにぎやかになってくるが、左側に住吉神社の石柱があり、
中には人の気配もなく、石の鳥居とその脇に、大きなこぶを作った
樹齢400年のケヤキがあり、木の幹は空洞で「住吉の祠」といわれているそうだ。
(住吉神社)
(鳥居の隣にある樹齢400年のケヤキ)
(貫禄のあるケヤキのこぶ、この裏側が空洞で祠になっている)
境内には二十三夜塔、御岳山座生大権現をはじめとする、八海山、三笠山の
山岳信仰を現す、石碑が並んでいる。
この住吉神社が、岩村田宿の北の入り口に当たる。
(山岳信仰の石碑)
(龍雲寺入り口の石碑)
少し進むと、同じ左側に龍雲寺の石柱があり、奥にいかにも古いお寺の門が見える。
この龍雲寺には、武田信玄の霊廟がある。