![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/32/959179d268b2b8e7fc1bb0aa2a0327f5.jpg)
(この信号が重要になる)
(望月宿)
火の見櫓下の双体道祖神の前を通り過ぎると、右からくる広い道路に合流し、
左手に(布施温泉入り口)の信号が見える。
旧中山道は信号を渡り、右にカーブするくだりの道路(150号線)を行き、
しばらくすると、右側に「中山道牧布施道標」の標柱があり、
旧中山道元禄の道標「右中山道布施谷」とあり、昔はここから望月宿に通じていたとあるが、
道は草が生え、先が無くなっているように見えるので、進むのを止めることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/ce/b2b3634b93e61b50077f98e0987a4430.jpg)
(信号を渡ると矢印にあるように道路は右カーブする)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/5e/e6844e7541179858b2e258305a5d1979.jpg)
(中山道牧布施の道標と元禄の道標)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/2d/8da916c8037b5398323072d20a377021.jpg)
(先の見えない草の道のため進むのを止める。推測では142号線の横断歩道のある場所に出るように思われる)
先の(布施温泉入り口)の信号、火の見櫓から出てきた場所にに戻る。
国道142号線の道路は上り坂になっているが、
少し上って、最初に横断歩道がある場所で、さらに右折する。
横断歩道はあるが、信号が無いので、
横断歩道をわたる場合は左右の車には十分注意する必要がある。
交通量がかなりあるからだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/f5/5b62be12d623d204a76da39016fd199c.jpg)
(横断歩道を右折)
横断歩道を渡った先の右側に「茂田井宿4,7km。笠取峠10,5km」の
案内標柱があるので案内にそって進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/24/37e0edfc7aac302a25d288928f98900e.jpg)
(案内標柱)
これから瓜生坂の一里塚に向かう。
道路は上り坂で、瓜生坂というが、やがて道は左右に分かれる地点に来る。
突き当たりに民家があり、垣根の外側に左中山道の案内がある。
上り坂を左に進むと道は右にカーブするが、カーブの地点に右中山道の案内があり、
すぐ先に「中山道瓜生坂の一里塚」の碑がある。
江戸から45里、180kmの地点である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/dd/9f51b387bfd1e691c5c8a9da06718c56.jpg)
(二股地点、中央に左矢印で中山道の看板がある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3a/8190d16e9e127ecda874e05d0fc880ef.jpg)
(カーブ地点の案内看板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d8/8a76ac86415ae4b450fa6ce5eb3fb4a9.jpg)
(瓜生坂の一里塚の碑)
薄暗い山の中の道路を少し進むと、前方が開けてきて、
左側に「史跡案内中山道」とあって右矢印が書かれている。
そして(道はここから土手を斜めに下っていた)と書き添えてある。
案内看板の後ろ側をのぞくと、熊笹が生えており、人が斜めに入った形跡があるように見えるが、
此処で中に入ってはいけない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/71/d89d9b5f29ed9dec51e9c3c1f0b6a30c.jpg)
(案内看板があるがここから入ってはいけない)
この案内看板の先10mほどのところに、百万遍念仏塔、
中山道瓜生坂の石碑があるが、その後ろを斜め下る道がある。
そこが旧中山道である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/52/c9b95f4defa6b8f01a353837149f39c9.jpg)
(百万遍念仏供養塔)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/d0/be51e0e9b46291491e5ea7293cdce083.jpg)
(中山道瓜生坂の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/05/b9573881aedc47106da0af44eddad615.jpg)
(分かり難いが、下に矢印で中山道の看板が左を向いている。後ろに左へ折れる道が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/99/22f78fb56a3221fdbf8e6dc9d208e1e0.jpg)
(草の繁った道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/2d/5c3f3c164ef2fc5a3cce93fd280f735b.jpg)
(草の繁る道の出口)
草の茂った大八車かリヤカーが通れるほどの道である。
草の道はほんの僅かであるが、400年前の中山道を思わせる道である。
すぐ舗装された広い道にでて、下り坂の道路を半円ほどカーブした先に中山道の案内看板がある。
旧街道はここで右わき道のほうに進む。下り坂はすぐ
直角に右に曲がり、急なコンクリートの坂道を下っていくと右側に、
①長坂の道祖神 ②長坂の馬頭観音 6基の石造群がある。
「中山道長坂の石仏群」と案内標柱も見つかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/92/ed85689c22599c5eb59e755e9070ed2d.jpg)
(カーブの後にある案内看板で右側の狭い道を下る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/31/fea0c74bd673bb23894020610a29f8b7.jpg)
(旧街道にふさわしい下り道。向こうに望月の町が見える。家の手前右側に長坂の石仏群がある。)
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(長坂の石仏群の①3基の道祖神)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e5/881c9d43781119e2747a4fa4a8d945cd.jpg)
(長坂の石仏群②3基の馬頭観音)
道路の突き当りが鹿曲川で、左手に橋が見え、案内看板には橋を渡るとある。
橋は長坂橋という。江戸時代と同じではないが、江戸時代にも橋はあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/12/aff19ee28987681b4d992d8f7953df33.jpg)
(橋を渡ると記した案内)
橋を渡って少し登り道を行くと、道路は丁字路で突き当たる。
望月宿の街の中に入ってきた。
望月発PM15:22のバスに乗りたいのであるが、
初めての町で、バス停はどこにあるかわからない。
望月の町を道路に沿って歩き出す。古い家並みが沢山あるが、
これは次の機会にゆっくり見ることにしよう、と考えながら歩くと、すぐ目の前にバスがやって来て止まった。
しめたこのバスとばかり、走って乗ろうとしたが、そそっかしいボクにしては、よく気が付いたと思う。
ワンマンバスのドアーをたたいて「佐久平駅に行きますか?」と訊ねた。
「このバスは行きません。岩村田行きに乗ってください」と返事。
時計を見ると、まだPM15:00で早すぎた。
しかしバス停が分からないからこのくらいの時間で正解であったはずである。
無事佐久平駅まで行き。新幹線で東京に帰ったのが19:00であった。
日本橋を出発して21日目。歩行数4.8万歩。
キロ数にして約28kmであった。
いつものことであるが、大体歩く距離は28kmほどと決まっている。
御代田からまっすぐ歩いてきたら、16kmであった。
道を間違えたり、余計な史跡を見たりしていると10kmほど余分に歩くことになるようである。
次は望月宿―茂田井―芦田宿―長久保宿で、寄り道しなければ11kmなのだが、
途中笠取峠があるのでどうなることやら・・・