(JR恵那駅)
(中山道の文字が見える商店街)
(旧街道の佇まい)
(大井宿 4)
JR恵那駅から中央の通りを歩いて中山道に入る。
商店街には「中山道」の看板が見られる。
しばらくして屋号を本酒屋と言った、
中野村の庄屋の豪壮な家が左手にあり、
その先で永田川を渡るが、道路の巾が広くなる。
庄屋屋敷に沿って左折した所に、
中野村高札場跡の標柱、
脇に秋葉灯籠(寛政八年建立)、
横に中野村観音堂、この三つが並んでいる。
(中野村の豪壮な庄屋の家)
(高札場跡、秋葉灯籠、観音堂の三つが並んである。)
(観音堂)
(観音堂は入母屋作り、回り縁のある建物ですが、
何時建てられたものか判っていません。
しかし江戸時代よりこの場所にあったことは古地図、
古文書により判っている。
観音堂のご本尊は、阿弥陀如来立像、弘法大師像、
三十三観音像が祀られています。
現在も地元の人たちの信仰を集め、
人々の手により守り続けられている。)とある。(恵那市教育委員会)
(観音堂を出た先の交差点を左)
(大井宿のマンホールも広重の浮世絵だ)
(交差点を多治見方向へ歩く)
広い通りの先でさらに広い道路に出るので、左折する。
しばらく進むと変則五叉路の信号に出る。
右から二番目の多治見方向に行く。
横断歩道橋があるのでこれを渡ると多治見方向に行き易い。
歩道橋を降りたところに「西行硯水」右300mの案内がある。
進むと左手に「上町観音堂」があるが先を急ぐ。
やがて「西行硯水公園」が左に、道路の向こうに「中山道」の常夜灯が見える。
公園は小さなもので、20歩も歩けば外に出てしまうが、
由緒ある公園であろう、中山道を歩く人は必ず立ち寄る。
(西行硯水右300mの案内)
(上町観音堂)
(西行硯水公園の道路向こうにある「中山道」の常夜灯)
(西行硯水公園入口)
西行と言えば、たった一つボクが知っている歌がある。
・ねがわくば 花のもとにて春しなむ そのきさらぎの もちづきのころ
ボクの勝手な解釈、
(できることなら桜の花の咲く2月の満月の日に
死にたいものだよ お釈迦様のように)である。
死にたいものだよ お釈迦様のように)である。
この中で、「如月のもちづきの頃」が問題で、この頃月日は陰暦であるから、
陽暦に直す必要がある。
お釈迦様は、生まれた日が4月8日の花祭りの日だと言うことは、
良く知られたことであるが、死んだ日は確かではない。
インドの仏教学者も涅槃に入った日はいつか、はっきりしないと答えている。
しかし、西行法師がこのように歌にまで詠んでいるからには、
日本では、2月15日が正しいことになっている。
この日を「仏滅」と言う。
その西行が、ここ硯水公園で読んだ歌は
・道の辺に 清水ながるる柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ
であるが、
西行がこの地を訪れ、
こんこんとわき出でる泉の水を汲んで、
墨をすったと伝えられると、
恵那市教育委員会が造った案内看板は、
皆さんが良く触ったのか、
文字が擦り切れていた。
(擦り切れてよく読めない西行の歌)
(神明神社の鳥居)
公園を出て、その先左がわに、神明神社の鳥居がある。
神社を左に見て、歩いてきた通りの先を見ると、
道路は直進と、大きく左へカーブする道路に分かれる。
直進は向こうからの一方通行出口で、
カーブする道は一方通行入口になって居るが、
中山道はその手前で右へ入っていく。
右折する向こう側に西行塚の大きな石碑があり、
その裏側は小さな西行公園になっている。
西行塚の石碑前を右折すると、
右側に恵那市教育委員会が作成した
「歴史の道 中山道 大井宿」と題した案内が見える。
一方には中山道の地図が他方は五街道の中の中山道。
そして大井宿についての説明版になっている。
(道路は左折の一方通行、直進は出口)
(西行塚の石碑を右折)
(西行公園)
(恵那市教育委員会作成の「歴史の道 中山道 大井宿」の案内)
(踏み切りの先の道路)
この案内板のすぐ先が踏み切りで、
道路は直進と左折に分かれるが、
案内どおり左折する。
回りはのどかな田園風景で、
先には中央自動車道の高架と見事な紅葉が見えるのみで、
この先十三峠が待ち受けているようには見えない。
中央自動車道を歩いてくぐると、
道路は急なのぼり道に変わり、
登り坂の途中に「是より西 十三峠」の石碑がある。
「十三峠」の始まりである。
(のどかな田園風景)
(紅葉)
(「是より西 十三峠」入口の石碑)