(真宗寺)
(路肩に咲くコスモス)
(法善寺)
(八幡神社)
(今須宿 3)
中山道を進むと、左に真宗寺があり、コスモスが咲く道を進む。
右手に法善寺を見て進むと、
今度は左手に「村社 八幡神社」の石の鳥居と常夜灯があり、
さらに進むと十字路にでる。
今須宿で初めての信号である。
信号と言っても赤黄青の三色の信号でなく、
赤一つの点滅信号である。
左手前角に古い常夜灯がある。
(十字路の今須で初めての点滅信号)
(信号手前の常夜灯と左手に見えるKKオーツカの建物)
見渡すと左手奥の高台に、
KKオーツカの看板をつけた建物がある。
案内書や関が原の観光協会で貰った地図によると、
右角にKKオーツカがあることになっている。
よくあることで左右間違いならば、
それはそれで良いのだが、
案内所も観光協会の地図も揃って右角にKKオーツカがあるのは、
間違いとは思えない。
点滅信号を見ながらKKオーツカが右に見えるように左折する。
道路はやや登りになっており、すぐ名神高速道路をガードでくぐる。
どうも道が違っているように感じる。
道は右に曲がり、さらに右に入る別の道がある。
見渡すと道路先で軽トラックに荷物を積んでいる人がいる。
道を間違ったら出来るだけ早く地元の人に聞き、
修正するのがボクのやり方である。
地図を見せながら、
「お仕事中失礼します。
この道を行きたいのですが、この道で間違っていませんか?」
「どこへ行くのですか?」
ボク「柏原宿へ行きたいのですが・・・」
ボクが見せた地図を見ながら、
「ああ、「寝物語の里」へ行くのは、この道を戻って、
点滅信号を左へ行くのが正しいですよ。」と回答がある。
(点滅信号は直進。KKオーツカに惑わされないように)
何のことは無い、中山道は点滅信号を直進すれば良かったのだ。
点滅信号まで戻って中山道を直進する。
しばらくすると、車返し地蔵尊の石柱が道路左の台地の上にある
道路は下り坂で21号線を渡る信号があり、
その先に東海道本線の踏切がある。
この坂道を「車返しの坂」という。
(車返し地蔵尊の碑)
(車返しの坂の21号線との交差点)
車返し地蔵尊の坂のいわれは有名で、
不破の関は平安時代以降、よく文芸作品の題材になった。
南北朝の昔、時の関白で歌人の二条良基は、
不破の関が荒れ果て、板庇から漏れる月の光が面白いと聞き、
わざわざ都から牛車に乗ってやってきました。
村人は、都からやんごとなき方が不破の関に来ると聞いて、
荒れ果てた不破の関を修築してお待ちしました。
ところがこの坂道を登る途中、
不破の関の屋根を直したと聞いて、
破れ屋根であってこそ面白いものをと、
この坂で引き返してしまったという伝説から、
車返しの坂と呼ばれるようになったそうである。
車返し地蔵尊を祀って残している。
(車返し地蔵尊)
(左奥が車返し地蔵堂)
(右横の地蔵堂1)
(右横の地蔵堂2)
(車返しの坂、21号線を渡って)
(車返しの坂、21号線の右の東海道線の踏み切り)
(車返し踏み切り)
坂を下って踏み切りの先、右手には、オーツカの大きな工場がある。
関が原観光協会の地図も、案内書の記載もこれで正しいと言うことになる。
道に迷った原因となったKKオーツカの名前が入った建物は、
左手にあったが、のちにできた事務所であるに違いない。
あとで知ったことであるが、
KKオーツカの本業は不織布による布の製造で、
主に自動車の内外装を手がけている会社である。
(*)筆者注:不織布=編みや織りによらないで作る布のこと。
坂を下りきると、前方右手に石碑がいくつか建っている。
近づくと芭蕉の句碑である。
回りを見渡すと進行方向左手に
「寝物語の里」の石碑がある。
(石碑が並ぶ公園)