中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

「小川(こかわ)の関」と旧中山道(旧中山道を歩く 288)

2011年12月25日 10時24分16秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(長沢の集落に入る)


(薬師への道標)

(柏原宿 4)
中山道は長沢という集落に入って、民家が集まっている。
すぐの左手に西薬師への道標がある。
「従是 明星山薬師道」と刻んであるのであろう、
石柱が埋もれて薬師までしか読めない。

その先右側に白山神社の石の鳥居がある。
その先二又の道路は、左が舗装道路、右が砂利道のY字路になる。
真ん中に「小川(こかわ)の関跡」の石碑がある。
石碑の横に
「歴史街道 柏原宿枝郷 長沢(ながそ)」
案内石碑があり、小公園になっている。
この案内によると左は中山道の舗装路、
右は旧中山道の砂利道を指している。


(白山神社)


(小川の関の石碑)


(小川の関の石碑で二又に分かれる)

「小川の関跡」について、
(近江坂田郡志には、
稚淳毛両岐王(わかぬけのみたまたおう)の守りし関屋
(現存しないが関所の施設)と書かれ、
大字柏原小字小黒谷、大字梓河内小字小川の辺りに比定、
小川、古川、粉川または横川の転訛せし地名としている。
一面どこも植林され原野となっているが、
戦時中は食糧増産のため開墾、畑となっていた所である。
古道の山側には整然と区画された屋敷跡「館跡」を
確認することが出来る。)とある。

またこの小公園内には「菖蒲が池跡」の案内もあり、
(・君が代のながき例(ため)しに長沢の
    池のあやめは今日ぞ引かるる  大納言俊光  
とあり、「この池の芹、名産なり、相伝う。
古昔二丁(218m)四方の池なりと。
今は多く田地となりて、漸く方二十間(36m)計りの池となれり。」
(近江輿地志略より)
また(その後、天保十四年(1843)には、
「菖蒲が池と申し伝へ候地これ有り。」と)(中山道宿村大概帳)にある。

どうもこの辺りに、その昔は200m四方の池があったが、
開墾により36mの池になり、
さらに消えて(池があったらしい)と言われるくらいになってしまった。
そんな「菖蒲が池」があったようであるが、
江戸後期には消滅してしまったようだ。
一説によるとこの池が源氏ホタルで有名な天野川の水源であったという。


(右側の旧中山道)


(旧中山道、杉の木が道路をまたいでいる)


(旧中山道の石だらけの道)

旧中山道の右側の道を行くことにする。
最初は草道であるが、やがて杉の木が一本道をまたいでおり、
それを過ぎるとごろ石の道になり、
やっと舗装道路に合流すると、右手に地蔵堂があり、ついで、
「歴史街道 中山道 直進すると東山道横川駅跡 梓」の大石がある。
道路は国道21号線と平行して進む。
左手に、「中山道 醒ヶ井宿」直進の案内杭があり、
道路は南北から山が迫り、
名神高速と21号線に並んで右側には川を見ながら、
中山道は狭い谷間を抜けていく。
雪が深いのかバス停には屋根つきの小屋で駅名は(梓河内)とある。
険路であったのか地蔵堂が旅人の安全を祈っている。
(梓河内)の信号を左に見て21号に平行して進むと、
道路わきにたわわに実った柿が何本もある。
誰も取って食べないのだろうか?


(舗装道路に出て、屋根の中にある地蔵堂)


(「中山道←東山道横川駅跡 梓」の大石)


(左国道21号線と平行して進む)


(「梓河内」のバス停、雪深いのか屋根付き)


(右手は川)


(たわわに実った柿)


集落で世間話に花を咲かせているお年寄りに挨拶をして通りぬけると、
僅かであるが昔を思い出させる松並木道になる。
米原市が保存に力を入れている松である。


(先に見える松並木)


(松並木街道)

道路は国道21号線にぶつかり、
その手前右手にはコンビニがあるように地図には書いてあるが、
「〇〇ホテル」と書いたラブホテルしかない。
不審に思って21号線にでると、ホテルの向こうにコンビニはある。
地図にはラブホテルでは書きにくいのであろうか?


(手前の橙色の塀がラブホテルでその先にコンビニがある)

自動車の激しい国道21号線を注意しながら横断する。
向こう側に歩道があるからだ。
21号線には、名神高速(米原)インターまで5kmの案内がある。
なお、進むと3mもあろうかと思われる巨大な案内看板
「中山道」がある。

「米原市山東庁舎」の案内があるところから、
中山道は国道21号線と左へ別れていく。
ここから醒ヶ井宿に入る。


(名神高速 米原ICまで5kmとあり、左側には歩道がある)


(「中山道」の巨大な案内)


(国道21号にある庁舎の案内)


(醒ヶ井宿へ入る)