(中山道柏原宿の案内)
(柏原宿 2)
2011,10,19、晴れ。AM10:00.JR柏原駅出発。
駅から旧中山道に出ると、道路に面して
「中山道柏原宿案内」の標柱が建っており、
左右に行き先が書いてある。
左 (寝物語の里)・(成菩提院)
右 (伊吹もぐさ本舗)・(柏原宿歴史観)・(北畠具行卿の墓)
・(清滝寺徳源院)とある。
左側は昨日訪ねたところ、右側が今日訪ねる予定の所である。
案内の下段には其々の距離まで書いてある。
この先、宿場内にふさわしい家並みが続く。
最初に「問屋場跡」次いで「東の荷蔵跡」。
問屋場は街道に送られてくる荷物を、
次の宿場まで継ぎ立てする(駅伝方式であった。)
柏原宿から東は今須宿へ、西は醒が井宿へ運ぶ。
そのため中山道では各宿場で、馬50匹、人夫50人を用意した。
各宿場までの運賃は距離、重量、山越え、峠などで決まっていた。
参勤交代のときは沢山の荷物があり、
この時は近隣の村から助郷が借り出された。
それでも荷物が残った時は「荷蔵」で一時保管した。
柏原宿では問屋は東西で六軒あり、
二軒ずつ交代で務めたという。
(問屋場跡)
(東の荷蔵跡)
両脇の家には往時の商売と主人の名前が板に掲示されており、
古き良き時代を表現している。
人の名前と職業は、古い地図により復元したものであろう。
例えば、蕨宿本陣家の日記「和宮様御下向日記留」によると、
皇女和宮様が御下向される時、警備の都合上であろう、
事前に宿場の見取り図を提出させている。
どこに誰の誰兵衛が住まいで、何所にはBが住んでおり女房と二人、
などと事細かに記帳して役人に渡した。
そんな見取り図を参考に表示板を造ったものと思われる。
(往時の商売と主人の名前「旅籠屋 銭屋 平兵衛」)
次いで右手に「柏原宿脇本陣跡」があり、
問屋役も兼ねていたと言う。
「旅籠屋跡」があり連子格子が良く似合う。
次が庄屋を兼ねた問屋役の吉村公三郎氏実家がある。
吉村公三郎氏は知る人ぞ知る映画監督で、
1950年代 京マチ子、原節子、岸恵子など、
女優の特徴を上手く表現した映画監督で、
川口浩、野添ひとみなども世に送り出す映画も手がけているらしい。
また、紫綬褒章、旭日〇〇章も貰っている。
(柏原宿本陣跡)
(旅籠屋跡)
(今に残る旅籠屋)
(映画監督吉村公三郎の生家跡)
脱線してしまったが、
その先に「柏原宿本陣跡」と大きなお屋敷があり、
さらに「高札場跡」がある。
宿場はこの高札場が入り口になっており、
宿場や領主の「定め書」が掲示されており、
旅人は笠を取って読んだものらしい。
(もう一つの柏原本陣跡、南部家)
(高札場跡)
さて、柏原宿は伊吹山で採れるもぐさを原料とした、
お灸の原料「伊吹もぐさ」が有名で、
看板になった働き者の番頭の「福助」人形は、
今でも店先で商い繁盛の手伝いをしているようだ。
この福助人形がある「伊吹堂」は、
「福助」目当てで、「もぐさ」にはトンと興味の無い人が連日押し寄せ、
商売の邪魔になるのであろう、今では写真お断りと言われている。
(伊吹堂の年季の入った看板)
(伊吹堂の昔ながらの店舗)
(いぶきもぐさ「本家」の看板)
安藤広重描く浮世絵「木曽海道六拾九次乃内 柏原」には、
この「伊吹堂かめや」を主体に描いており、この浮世絵にも
福助人形が描かれているので、
福助人形はこの浮世絵で我慢して頂きたい。
(浮世絵「木曽海道六拾九次の内 柏原」右端に描かれているのが福助か)
(Netより「人形の福助」)
その先右手に柏原宿歴史館があるので寄って、
柏原の見所をおさらいして置きたい。
この歴史館の建物は重厚で、
特に屋根組みや贅沢な和室の作りは、
国の重要文化財に指定されている。
(柏原歴史館の重なる屋根が国の重要文化財)
(国指定重要文化財の歴史館の和室)