(「中山道」の見落とすことのない巨大な案内)
(醒ヶ井宿へ入っていく)
(醒ヶ井宿)
中山道は国道21号線から左脇の道路へ入る。
道路左脇には小川が流れており、一色の集落に入っている。
脇の小川の向こうに地蔵堂があり、
向かいの民家の壁に「ここは中山道一色」の手書きの案内がある。
(小川の向こうにある地蔵堂)
(その反対側にある「ここは一色」の手書きの案内)
道路が左へ曲がった所に、「八幡神社」の石垣がある。
次いで左側の山すそに「一里塚の跡」の碑があり、
一里塚跡を偲ばせる松の木と水のみ場がある。
気温も高かったこともあり、
この水のみ場は救われたような気分であった。
まして醒ヶ井宿は水清らかなことで有名な所である。
蛇口をひねってごくごく呑んでしまった。
冷たくて水が美味しかったので、
ペットボトルに残っていた水を捨てて、
満水にして来たのは云うまでも無い。
(八幡神社の石垣)
(八幡神社の鳥居)
(醒ヶ井の一里塚跡の碑と水のみ場)
その昔、日本武尊が伊吹山の大蛇退治で、
大蛇の毒気に当てられ、ここ醒ヶ井の水により、
生気を取り戻したという伝説があるくらい。
それほどこの場所の清水は美味しいので有名である。
伝説はさておき、西へ進むと右手に真宗大谷派の「等倫寺」があり、
集落の中へ入っていく。
やがて展望が開け、
右下に国道21号線その右に東海道線が見渡せる場所に出る。
左手の山の上には、名神高速道路が走っており、
国道と高速道の間を中山道は通っている。
特に西方の眺めはよく、遠くの山間には京都の空が望めることで有名で、
右手に「佛心水」と書いた井戸がある。
(「佛心」とは仏のこころ、大慈悲(心)のことを言う。
この井戸は、旅人の喉を潤すだけでなく、
御仏の慈悲のもとで旅の安全を祈願した人々の、
願いが込められています。(後略)(地縁団体 一色区)とある。
(等倫寺)
(集落の中へ)
(開けた場所、右手の井戸が囲ってある。中央奥のの山の上が京都?)
(佛心水の井戸)
続いて道路左端に、「鶯ヶ端」跡の碑がある。
説明では、
(旅人はいったん休息した場所である。
芭蕉が尊敬する平安時代の歌人能因法師も、
・旅やどり ゆめ醒ヶ井の かたほとり
初音もたかし 鶯の端
と詠んでいる。)と案内説明板にある。
(鶯ヶ端跡の案内)
この先民家に突き当たるが、その民家の隣に、
「中山道 醒ヶ井宿」の石碑が置いてある。
民家を左に見て右折し、この石碑を挟んで枡形があるので、
道路はすぐ左折する。
外敵の進入を妨ぐ古来からの設備である。
醒ヶ井宿の始まりであり、
このあと、宿場の家並みが続き、左に折れると、
少し先の高速道路の下にこんもりと森が茂っている。
(民家に突き当たる)
(醒ヶ井宿の石碑の先で道路は左折)
(宿場の様子)
(宿場の様子2)
(左は名神高速の下の森)
石の鳥居があり加茂神社の石碑が見える。
神社と道路の間には清らかな清水が流れている。
これが「居醒の清水」で、
日本武尊(やまとたけるのみこと)が身を清めた清水である。
醒ヶ井宿には三水といわれる三つの水源があり、
この「居醒の清水」がその内の一つにあたる。
水は勢いよく湧き出している。
残り二つの水源は「十王水」と「西行水」で、
まして醒ヶ井宿は水清らかなことで有名な所である。
蛇口をひねってごくごく呑んでしまった。
冷たくて水が美味しかったので、
ペットボトルに残っていた水を捨てて、
満水にして来たのは云うまでも無い。
(八幡神社の石垣)
(八幡神社の鳥居)
(醒ヶ井の一里塚跡の碑と水のみ場)
その昔、日本武尊が伊吹山の大蛇退治で、
大蛇の毒気に当てられ、ここ醒ヶ井の水により、
生気を取り戻したという伝説があるくらい。
それほどこの場所の清水は美味しいので有名である。
伝説はさておき、西へ進むと右手に真宗大谷派の「等倫寺」があり、
集落の中へ入っていく。
やがて展望が開け、
右下に国道21号線その右に東海道線が見渡せる場所に出る。
左手の山の上には、名神高速道路が走っており、
国道と高速道の間を中山道は通っている。
特に西方の眺めはよく、遠くの山間には京都の空が望めることで有名で、
右手に「佛心水」と書いた井戸がある。
(「佛心」とは仏のこころ、大慈悲(心)のことを言う。
この井戸は、旅人の喉を潤すだけでなく、
御仏の慈悲のもとで旅の安全を祈願した人々の、
願いが込められています。(後略)(地縁団体 一色区)とある。
(等倫寺)
(集落の中へ)
(開けた場所、右手の井戸が囲ってある。中央奥のの山の上が京都?)
(佛心水の井戸)
続いて道路左端に、「鶯ヶ端」跡の碑がある。
説明では、
(旅人はいったん休息した場所である。
芭蕉が尊敬する平安時代の歌人能因法師も、
・旅やどり ゆめ醒ヶ井の かたほとり
初音もたかし 鶯の端
と詠んでいる。)と案内説明板にある。
(鶯ヶ端跡の案内)
この先民家に突き当たるが、その民家の隣に、
「中山道 醒ヶ井宿」の石碑が置いてある。
民家を左に見て右折し、この石碑を挟んで枡形があるので、
道路はすぐ左折する。
外敵の進入を妨ぐ古来からの設備である。
醒ヶ井宿の始まりであり、
このあと、宿場の家並みが続き、左に折れると、
少し先の高速道路の下にこんもりと森が茂っている。
(民家に突き当たる)
(醒ヶ井宿の石碑の先で道路は左折)
(宿場の様子)
(宿場の様子2)
(左は名神高速の下の森)
石の鳥居があり加茂神社の石碑が見える。
神社と道路の間には清らかな清水が流れている。
これが「居醒の清水」で、
日本武尊(やまとたけるのみこと)が身を清めた清水である。
醒ヶ井宿には三水といわれる三つの水源があり、
この「居醒の清水」がその内の一つにあたる。
水は勢いよく湧き出している。
残り二つの水源は「十王水」と「西行水」で、
後ほどこの二つを訪ねる。
(加茂神社の鳥居)
(日本武尊の像)
(「居醒の清水」透明な水が湧き出ている)
三水に対応して四石が有るが、
これは「居醒の清水」から流れる地蔵川の中にある。
その一つが蟹石で「居醒の清水」が湧き出ている左横にある。
蟹に似た石というがどうでしょうか?
日本武尊の「腰掛石」は少し下流にあり、
鞍を掛けたという「鞍懸石(くらかけいし)」はさらに下流にある。
四石の最後、影向石(えこういし=加茂神社の神霊が影向している石)は、
源海寺にあるというが、影向石は見学しなかった。
(蟹石、これが蟹?亀みたいです。)
(腰掛石)
(鞍懸石)
(地蔵川は美しい木陰であった)
(加茂神社の鳥居)
(日本武尊の像)
(「居醒の清水」透明な水が湧き出ている)
三水に対応して四石が有るが、
これは「居醒の清水」から流れる地蔵川の中にある。
その一つが蟹石で「居醒の清水」が湧き出ている左横にある。
蟹に似た石というがどうでしょうか?
日本武尊の「腰掛石」は少し下流にあり、
鞍を掛けたという「鞍懸石(くらかけいし)」はさらに下流にある。
四石の最後、影向石(えこういし=加茂神社の神霊が影向している石)は、
源海寺にあるというが、影向石は見学しなかった。
(蟹石、これが蟹?亀みたいです。)
(腰掛石)
(鞍懸石)
(地蔵川は美しい木陰であった)