(「おいでやす彦根へ」のモニュメント)
(旅しぐれ中山道松並木の看板)
(鳥居本宿)
国道八号線に出て左折し、矢倉川の橋を渡ると、
道路左脇に入る道があり、
「おいでやす 彦根市へ」のモニュメントが左手にある。
ここから鳥居本宿である。
道路左右に昔の面影を取り戻そうと松並木が造られつつある。
道路脇に(旅しぐれ中山道松並木)の看板があり、
この松並木は彦根八景の一つに数えられている。
彦根八景は、住民が選んだ風景の(ベスト8)。
どうゆうものかと言うと、
ボクの住まいの板橋十景のようなもの。
例えば、板橋の名の由来の「板橋」とか、
「志村の一里塚」とかを想像してもらえば良い。
彦根八景は、やはり「彦根城」とその横にある「玄宮園」、
そしてこの「旅しぐれ中山道松並木」などである。
この松並木を鑑賞に足りるようになるには、
あと30年ほど必要かと思われる。
(彦根八景の彦根城)
(彦根八景の一つ玄宮園)
(まだ若い松並木)
(松並木2)
鳥居宿を進むと道路はすぐ右、左と鉤の手に曲がるが、
その曲がり角に胃腸薬で有名な(赤玉神教丸)の有川家があり、
今でも薬の営業をしている。
彦根の鳥居本には三つの赤の名産があり、
その一つが赤玉神教丸であり、
他の二つは鳥居本合羽とスイカであった。
彦根城主井伊家の武者は赤揃いで、
「関が原の役」を戦った赤鬼魂と共に広まったという。
(うわさ通り赤い赤玉神教丸の暖簾)
(赤玉神教丸の有川家)
(明治天皇御小休所の碑)
その赤玉神教丸有川家の右手には、屋根つきの屋敷門があり、
その門前に「明治天皇御小休所」の石柱が立っている。
その有川家の左手に細い道があるので、
入っていくと国道8号線の向こう側に、
「上品寺」の石柱と鐘楼が見える。
石柱の奥にもう一つの石柱があり、
これには「法海坊旧跡」とある。
(上品寺の石碑と話題の鐘楼)
(法海坊旧跡の石碑)
法海坊(七代了海)は、
(上品寺の釣鐘を作る費用のために江戸市中を托鉢して廻った。
しかし鐘には、新吉原の遊女の名があることから、
破戒僧として歌舞伎などに取り上げられている。
実際には遊女が病で困っているのを見た法海坊が、
托鉢した金を出して救ってあげたりしたのに感謝して、
沢山の遊女から寄付金が集まり、
作られた釣鐘を、一人で江戸から大八車で近江(滋賀県)まで運んだ努力は、
何物にも変えがたく、先の世界大戦時にも供出されることはなかった。)(鳥居本町)
その釣鐘が鐘楼に在る。
(上品寺本堂)