(鳥居本の宿場の風情を残す街並み)
(鳥居本宿 2)
旧中山道に戻って進むと、時代を髣髴とさせる建物がある。
元「東屋」という旅籠で、彦根市の説明によると、
(ここに住む岩根治右衛門は井伊直弼の絵の師匠である中島安泰に学び、
自分に自然であれと自然斎(じねんさい)の号を賜り、
絵付師として精進していました。――中略
建物内は旅籠の風情を残しています。)とある。
(鳥居本の旅籠「東屋」)
さらに進むと、今は製造こそしていないが鳥居本合羽製造所の看板
(山一 本家 合羽所 木綿屋 嘉右衛門)が当時のまま残っている。
彦根市の説明によると
(享保五年(1720)馬場弥五郎が創立したことに始まる鳥居本合羽は、
雨の多い木曽路に向う旅人が雨具として多く買い求め、
文化・文政年間(1804~1830)には十五軒の合羽所がありました。
――中略――東京や伊勢方面に販路を持った「木綿屋」は、
大名家や寺院、商家を得意先として、
大八車などに覆いかぶせるシート状の合羽を主に製造していた。
――後略)とある。
(木綿屋嘉右衛門 昔ながらの合羽所の看板)
その斜め前、つまり街道の左手に旧本陣「寺村家」がある。
もともと本陣は、最小でも部屋数20室ほどトイレ浴槽は四箇所はある広い建物で、
大名などが宿泊する上段の間を持つ。
鳥居本宿の本陣 寺村家もこれに劣らぬ建物であったが、
明治になって洋館に建て直されたようだ。
現在はその洋館が残っている。
庭には元本陣家を象徴する大きな木が繁っている。
(木陰に今の本陣家が見える)
その先右折する道路があるが、
右折した正面に信号があり、近江鉄道の「鳥居本駅」の立派な駅舎がある。
駅舎は立派でも無人駅で、もちろん電車は単線であった。
駅舎は閑散として寂れた感じは否めない。
時間も迫って帰路に着こうとホームに立つと運良く電車がきた。
ワンマン電車である。
(奥に鳥居本駅が見える)
電車に乗ろうとドアー前に立ってもドアーは開かず、
ドアー横に(後乗前降)と書いてある。
ご婦人が一人乗車を待っておられたから良かったが、
あわてて後ろのドアーへ行く。
二両連結車両で、乗客はボクを入れて四名。
次の駅で一名下車するのを見ていると、
前のドアーから降りる時に料金を払っている。
料金を前の方に居る運転手に渡す、
これは以前乗った樽見線ワンマン電車で経験済み。
(鳥居本駅のワンマン電車)
さて次が終点の米原駅。
停車するとドアーが全部開いて、
運転手はさっさと降りて行ってしまった。
「乗っていた人に乗車賃はどこで払うのですか?」と聞いたら、
「私もそれを聞きたかったのです。」という。
つまりこのご婦人も初めての乗車らしい。
そこへ交代の運転手らしき人が歩いてきたので訊くと、
「駅のホームの先に改札があって、そこでお支払いください。」という。
僅か二駅なのに300円取られた。
二駅の料金は、東京ではJRで150円、都営地下鉄で170円なのに・・・
乗客の多寡によるのだろうっか・・・
ついでに米原駅の新幹線ホームはどこか訊いたら、
「目の前の白い建物がJRの駅です。そこからお乗りください。」
これはその通りであったが、その建物のどこにホームはあって、
入り口はどこかくらい説明して欲しかった。
新幹線に乗ると疲れがどっと出て、
東京に着くまで眠ってしまった。
(米原駅のワンマン電車)
本日の歩行数56045歩=約34km。
帰宅したのは20時30分であった。