中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

専宗寺(旧中山道を歩く 298)

2012年01月27日 10時20分11秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3


(専宗寺の山門)


(専宗寺の石柱)


(鳥居本宿 3)
中山道を歩くのは、土日、祝日は電車が込むので敬遠。
月曜日は資料館、博物館がお休みで敬遠。
その他のウイークデイで、
二日連続して天候に恵まれる日を選ぶことにしている。
傘を持って歩くと荷物が増えて困るからだ。
暑い日や寒い日はお断り、
その他に、自分勝手なゴルフの約束の日、
世界経済の動向、金融論の講習日、
心臓、糖尿病、血液ガンの月一回の定期健診の日には行かれない。
こう考えていくとなかなか段取りを取るのが難しい。

それでも11月30日は天候良好。12月1日は曇であるが寒くなる。
そんな予報で出かけることにした。
東京駅を6時26分発のひかり501号に乗り、米原着8時54分。
近江鉄道で鳥居本駅着9時15分頃。

田舎の道は人っ子一人も居ない。
車だけが多く走っているように思う。
赤玉神教丸の赤いのれん、本陣家の寺村家の前を通り、
鳥居本宿を髣髴とさせる街並みの中を進む。
右手に脇本陣跡、その先左に十五軒あった
「合羽所」の一つ「松屋」が
当時のまま合羽所の看板を屋根の上に残して
建物は改築されている。
国道8号線に抜ける大きな十字路の点滅信号を越えると、
右手に洞泉山専宗寺がある。


(脇本陣跡)


(合羽所の看板が屋根の上にある。)


(点滅信号の向こう側右にある常夜灯)

専宗寺は、
(文亀二年(1502)及び天文5年(1536)の
裏書のある開基仏を有する浄土真宗の古寺で、
現在の本堂は18世紀後半のものと推定される。
なお、この専宗寺山門の右側にある太鼓門の天井には、
石田三成の居城として知られる佐和山城の遺構(通用門)が、
使用されているという。)(鳥居本お宝発見隊)とある。


(佐和山城下町への案内)


(専宗寺の太鼓門)


(太鼓門の天井は佐和山城の通用門であった)

さらに進むとT字路に出でるが、その右向こう側に道標がある。
「左 中山道 京いせ道  右 彦根道」とある。
彦根市の説明によると、
(――前略――
中山道と彦根道(朝鮮人街道)との分岐点に建つこの道標は、
文政十年(1827)に建立されたもので、
彦根道は二代彦根藩主 井伊直孝の時代に
中山道と城下町を結ぶ脇街道として整備されました。)とある。


(静かな鳥居本宿のうだつが上がる建物)


(左中山道の道標)


(右彦根、左中山道の道標)

この街道は、彦根・安土・近江八幡を経て野洲まで約40kmある。
野洲で中山道に合流する、朝鮮通信使の通った道で彦根側の入り口である。
その先中山道は田圃に囲まれた道になり、
右手は新幹線の高架、
左手は高速道路に挟まれた狭い場所を抜けていく。


(鳥居本の街並みは終り田園の中へ入る)


(田圃の中の道を行く)


(右は新幹線の高架)


(左は名神高速)